ここ数日で、
うれしくて胸がいっぱいになったり
怒りを突きつけられて腹が立ったり
積み上げてきたと思っていたものが全く意味をなしていなかったことを知って愕然としたり。
感情が揺さぶられることが立て続けに起こっている。
感情が揺さぶられることが起きたら、その場ですぐにはできなくとも
起こった事象の原因を探ることを癖にしている。
(ネガティブなことについては特に)
なんでだろう?
これが起こる理由は?
「はじまり」はどこだろう?
と。
いや、癖にしているというか、じぶんに「課している」と言った方が正確だろう。
世の中には他人のせいにしてしまえることもあるけれど、
じぶん以外のせいにしてもなんの意味もない。
どこまで行っても、究極は自己責任なのだと思っている。
全部、じぶんのせい。
これを聞いて過剰に反応する人は
じぶんが責められる(攻撃される)イメージをしてしまってるかもしれないけど、
違うんだよ。
その出来事を、じぶんを責めるために使うんじゃない。
「じぶんの芯/軸を強くするために」使うんだ。
じぶんを今より自由にするため。
「自ら」を「由」として、強くしなやかに生きていくために、だよ。
(あなたを含む人間って、そもそもはそんな弱くないしね。)
今回の一連の出来事は、
「胸のまんなかに帰れ」というメッセージなのかなと思ったんよ。
ていうか
「目に映るすべてのことはメッセージ」であって、
今回ってか、すべては繋がってるんだけどね。
いや、ぼくもよく忘れちゃうんだけど。笑
あんまりにも忘れてたりよそ見してると、【大きな存在】によってそれにきづかせられるような「仕掛け」になっていると思うのね。
『○○(じぶん)。この出来事に対してお前は、何を感じ、どのように在り、これからどう行動する?何を選択する?』
と、
呼び名はなんだっていいけど【神様】に尋ねられている感じ。
(特定の神様を信じてなくてオッケー。神道は身に染みている感覚はあるが、それ以外ではぼくもこれといって特にない。)
『この先どう生きていくかをもう一度考えるために、あなたの胸のまんなかに帰りなさい。そこにあるものを思い出しなさい。』
という、メッセージ。
素直なきもちでじぶんの胸のまんなかに帰れたら、
見つけられるものがあってそれってたぶん、「感謝」に繋がるんだ。
ぼくもまた見つけることができた。
そしてあったかいきもちになった。
ほんとにこれさえあれば『まだ生きていける』と思えるもの。
そんでこっからまた、生きていける。