ルールは複合体を「ひとつ」として捉え、その内部の安定を図るものであって、
ルールは本質的に、単体をしあわせにしようとはしない。
(それを目的としていない。)
ルールは今ある世界を「整える」ものだ。
そのための道具だ。
今ある世界の未来を考えるならば、ルールは常に更新されていく必要がある。
ルールが今ある世界を「根本から変える」ことはない。
ルールはじぶんの頭で考えない者たちを御するのに有用だ。
ルールが存在することによって守られたものもたくさんあるだろうが、
ルールが単体よりも上位に置かれていることによって、
圧し潰されてきた単体の断末魔は、意識して耳をすまさなければ聴こえることはない。
あの有名な言葉を借りれば、
「複合体の、複合体による、複合体のための」ルールだ。
その本質に目を凝らそうとせず、
ルールに相対した時の選択肢を服従のみとするならば、
いっそ、単体としての幸福の追求を放棄する宣言をしてはどうか。
時と場合によりけりで、態度を変えるその姿は美しいとは言えない。
というか、醜い。
有無を言わさず支配する側も、何も考えず従い続ける側も、どっちもどっちだ。
世界、というか(あるとするならばだが)宇宙の本質は混沌であって、
それは誰にも否定できないはずだ。
定まったひとつの形態/状態に押し止めることのできないものであるということを認めなければならない。
複合体の強固な安定が単体を個別に幸福にすることはないが、
単体の幸福が同時に、雑多に存在している混沌とした状態が
結果として複合体にとっての「流動的な」安定に寄与することは有り得る。
「ルールに意味などない」とは言わない。
「ルールを破れ」と言いたいわけでもない。
「ルールは疑っていいし、アップデートしてもいい」とは言いたい。
「ルールは道具でしかないのだから、そんなものから支配されることを甘んじて受け入れ続けるな」とは強く言いたい。