「なぜ食べるのか」
「なぜ働くのか」
「なんのために眠るのか」
「なんのために口を覆うのか」
それらの「なぜ、なんで、なんのために」全てが行き着くところ…
「なぜ生きるのか」を既に掴んで自らの礎にできている人を除いて、
皆「なぜそれをするのか」をわかったつもりになって、見失ってしまっているよね、もう長いこと。
そして「今」は殊更だろう。
これをしていれば大丈夫。
このルールさえ守っていれば大丈夫。
ここから足を踏み出なければ大丈夫。
皆と同じでいれば大丈夫。…
人から圧しつけられるそれらを「しかたがない」ってじぶんに言い聞かせてんの、
そんなのはね、全然だいじょうぶじゃないよ。
納得は全てに優先するんだよ。
あなたがちゃんとあなたを生きないとだめなのだ。
でなかったら、誰があなたを生きるのだ。
じぶんで決めるのだ。
あなたのほんとうの本音を離れたままあんまりにも放っておくと、
消えてなくなってしまうよ。
幽霊でいる自覚すらないんだろう?
まずは、生きている実感を取り戻そうよ。
人は、陽の光を浴びて、
空気をいっぱいに吸い込み、
風に頬を撫でられる必要がある。
それを心地よいと感じる必要がある。
もう疲れきっていることだろう。
でも身体の疲れだけにフォーカスしてはいけない。
身体が動く喜びを思い出す必要がある。
そして、心が動く喜びを思い出す必要がある。
どこか目的地にたどり着くために行くのでなく、
どこかに行こうとする(じぶんと一緒にいる)ために行ってみよう。
じぶんで決めることをじぶんに許そう。
たぶん胸のあたりに何か感じるものがあるはずだよ。