レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、いっしょに遊び楽しむことを通してこどもの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。(できる時に、更新。)

【過去記事紹介】ベジの自己紹介記事(※更新済)

ぽつんぽつんと書いてる自己紹介記事は、定期的に上げていこうと思いまーす。

( ´ ▽ ` )ノ

 

今回、各種イベント開催についての部分を画像付きで更新しました。

\(・ᴗ・)/

 

ちょうど3年前の記事です。

 

話が長いぼくのわりには、キュッとまとまってます。笑

 

おともだちにベジのこと紹介しようと思ったけどただのシッターじゃないしどう説明したもんかと困ってる、きさくでステキなそこのアナタ!

 

この記事がおすすめですよ!

٩(ˊᗜˋ*)و

 

↓↓↓

 

recrea.hatenablog.com

 

 

P.S.

(´-`).。oO(【旅するトランポリン】ツアー、もう3年も経つのかあ、早いなあ。

 

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ああ ぼくのままでどこまで届くだろう

ブログ更新を1年以上放置した後、

 

先月のこどもの日(5/5)にお父さんバンクがメディアに取り上げられた告知記事を書いてから

 

 

recrea.hatenablog.com

 

(日付変わった後アップとか多少ズルもしてるけど)毎日1記事更新してて、

 

きがついたら1ヶ月経ってました。

 

 

 

やればできんじゃん、俺!!!

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

 

 

#じぶんでじぶんを褒めてあげたいです(´;ω;`)

 

 

 

ぼくは言語化が苦手だと常々言ってるけど、

 

苦手だからってそのままにしてたらさらに苦手になる一方だもんね。

 

だいじなのはここからだ。

 

あえて何日間続けるとかは言わないどく。

 

ノルマがあるのはある意味楽だけど、

 

「○○しなければならない」はやっぱりぼくは苦しくなってしまう。

 

かつて煙草をスッパリとやめた時のように

 

「試しにいつまで続けられるかやってみよう」というスタンスでこれからも行ってみます。

( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

何者かになろうとせず、ぼくはぼくのままでどこまで辿りつけるかなあ?

胸のまんなかに帰る。

ここ数日で、

うれしくて胸がいっぱいになったり

怒りを突きつけられて腹が立ったり

積み上げてきたと思っていたものが全く意味をなしていなかったことを知って愕然としたり。

感情が揺さぶられることが立て続けに起こっている。

 

感情が揺さぶられることが起きたら、その場ですぐにはできなくとも

起こった事象の原因を探ることを癖にしている。

(ネガティブなことについては特に)

 

なんでだろう?

これが起こる理由は?

「はじまり」はどこだろう?

 と。

 

いや、癖にしているというか、じぶんに「課している」と言った方が正確だろう。

世の中には他人のせいにしてしまえることもあるけれど、

じぶん以外のせいにしてもなんの意味もない。

どこまで行っても、究極は自己責任なのだと思っている。

 

全部、じぶんのせい。

 

これを聞いて過剰に反応する人は

じぶんが責められる(攻撃される)イメージをしてしまってるかもしれないけど、

違うんだよ。

 

その出来事を、じぶんを責めるために使うんじゃない。

「じぶんの芯/軸を強くするために」使うんだ。

 

じぶんを今より自由にするため。

「自ら」を「由」として、強くしなやかに生きていくために、だよ。 

(あなたを含む人間って、そもそもはそんな弱くないしね。) 

 

 

 

今回の一連の出来事は、

 

「胸のまんなかに帰れ」というメッセージなのかなと思ったんよ。

 

ていうか

「目に映るすべてのことはメッセージ」であって、

今回ってか、すべては繋がってるんだけどね。

 

いや、ぼくもよく忘れちゃうんだけど。笑

 

あんまりにも忘れてたりよそ見してると、【大きな存在】によってそれにきづかせられるような「仕掛け」になっていると思うのね。

 

 

 

『○○(じぶん)。この出来事に対してお前は、何を感じ、どのように在り、これからどう行動する?何を選択する?』

 

 

 

と、

 

呼び名はなんだっていいけど【神様】に尋ねられている感じ。

(特定の神様を信じてなくてオッケー。神道は身に染みている感覚はあるが、それ以外ではぼくもこれといって特にない。)

 

 

 

『この先どう生きていくかをもう一度考えるために、あなたの胸のまんなかに帰りなさい。そこにあるものを思い出しなさい。』

 

 

 

という、メッセージ。

 

素直なきもちでじぶんの胸のまんなかに帰れたら、

見つけられるものがあってそれってたぶん、「感謝」に繋がるんだ。

 

ぼくもまた見つけることができた。

そしてあったかいきもちになった。

 

ほんとにこれさえあれば『まだ生きていける』と思えるもの。

 

そんでこっからまた、生きていける。

ルールに支配されるべからず

ルールは複合体を「ひとつ」として捉え、その内部の安定を図るものであって、

ルールは本質的に、単体をしあわせにしようとはしない。

(それを目的としていない。)

 

ルールは今ある世界を「整える」ものだ。

そのための道具だ。

今ある世界の未来を考えるならば、ルールは常に更新されていく必要がある。

ルールが今ある世界を「根本から変える」ことはない。

 

ルールはじぶんの頭で考えない者たちを御するのに有用だ。

ルールが存在することによって守られたものもたくさんあるだろうが、

ルールが単体よりも上位に置かれていることによって、

圧し潰されてきた単体の断末魔は、意識して耳をすまさなければ聴こえることはない。

 

あの有名な言葉を借りれば、

「複合体の、複合体による、複合体のための」ルールだ。

 

その本質に目を凝らそうとせず、

ルールに相対した時の選択肢を服従のみとするならば、

いっそ、単体としての幸福の追求を放棄する宣言をしてはどうか。

 

時と場合によりけりで、態度を変えるその姿は美しいとは言えない。

というか、醜い。

有無を言わさず支配する側も、何も考えず従い続ける側も、どっちもどっちだ。

 

世界、というか(あるとするならばだが)宇宙の本質は混沌であって、

それは誰にも否定できないはずだ。

定まったひとつの形態/状態に押し止めることのできないものであるということを認めなければならない。

 

複合体の強固な安定が単体を個別に幸福にすることはないが、

単体の幸福が同時に、雑多に存在している混沌とした状態が

結果として複合体にとっての「流動的な」安定に寄与することは有り得る。

 

「ルールに意味などない」とは言わない。

「ルールを破れ」と言いたいわけでもない。

「ルールは疑っていいし、アップデートしてもいい」とは言いたい。

 

「ルールは道具でしかないのだから、そんなものから支配されることを甘んじて受け入れ続けるな」とは強く言いたい。

今がよければそれでいい、わけがない。

ぼくは今「将来のこと/老後のこと」なんてまるで考えてない。

昔は考えていた。

というか、「考えさせられて」いた。

「普通の」人生設計のもとでは考えなくてはいけないことらしかったから。

 

まるで納得していなかったけど、押し切られてしまっていたな。

押し返すほど強い想いや考えなどなかった。

 

「将来のことを考えろ」なんてのは、その人の納得なしでは考えているようでその実考えてないよねと思う。

(特にこどもたちにそれを言うのは)

「今」を犠牲にした先のしあわせはほんものだろうか。

それがうまく機能することもあるのは否定しないけど。

 

誤解されると困るのでもう少し言うと、

ぼくは

今がよければ、今さえ楽しければそれでいい、とか

先のことなんて考えるだけ無駄、なんて思ってない。

 

「なるようになる」とはめちゃくちゃ思っているけど、

それは先のことがどうでもいいわけでは決してなくて。

今をたいせつにすることによって、将来(未来)をつくることができると思っている。

 

怠惰の先にはそれ相応のものが待っているとは思う。

けど、

立ち止まってしまったり、動けず(舵を切れず)にいたりすることがいけないとは思わない。

本人でなく他人がそれを怠惰であると断じたり、裁くのは違うと思う。

 

人それぞれにペースがある。

それを許さない不寛容こそ裁かれてしかるべきだと個人的に思うし、

他人を許さないことで、じぶんが許されない世界をつくるのは笑えないコントだと思う。

 

どうせなら、誰もが笑える、笑い合える世界であってほしい。

あえて直接伝えはしないけど。

・ベジは普段からノーマスクですよ

 

・新型コロナワクチン打ってたらご依頼お断りですよ

 

を公表する以前から、

 

シッターご依頼への返信に対するお返事がないことがたまーにあるんだけれど、

 

そういうことする方はもし次ご依頼があってもお断りすると決めている。

 

その次の依頼が来たことはまだないけど。

 

(そういうのなんて言ったらいいんだ?出禁?出入りはしてないしなあ(´・ω・`))

 

最近のだと、

 

シッター依頼への返信(ベジは遅くとも24時間以内に返信することにしています)からずっとお返事がなく、

 

2週間経ってからようやく返事が来た。

 

 

 

何をどう思って放置してたのかはわからないけど、

 

相手からしたらそれって「無視」なんだよね。

 

無視されるのが好きな人なんてそうそういないと思うんだけどなあ。

 

じぶんがそれされたらきっとヤダですだと思うんだけど、違うのかなあ。

(´・ω・`)

ひとりでなんでもできたら、独りになってしまうじゃないか。

ひとりでなんでもできる(自立している)のがいいことだと思われてる節があるけど。

 

ひとりでなんでもできて(繋がることなしにひとりで完結して)しまったら、

それは周囲に見えない壁を作っているのと同じで、

「関係」が無い場面においては、そこに居るのはじぶんだけだ。

 

その人自身がそれを望んでいるならいい。

(時にひとりだけになれる時間や場所は必要だ。)

だけど、

そうでなかったら、その人は独りになってしまうじゃないか。

 

仮に。

 

一切の依存を排して

究極に自立した生き方に到達できたとして

それがいったい何を生むというのだろうか。

 

別に、生産的でなければならない等と言いたいのではない。

そもそも、

この世に生まれてきたものに何の意味もないなんてことはないはずだ、ということが言いたい。

 

価値とは往々にして他者評価であるが、それは本当に必要だろうか。

そんなものは求めなくともじぶんがじぶんと共にあればいいのではないか。

 

価値はなくとも、意味はあるのだ。

 

じぶんがじぶんと共にあり、
「その上で」、他者と関わる中でこそ「意味」が見出せるものなのではないか。

 

(ちなみにベジがいつも「他人」と書かず「他者」と書くのは、対象を人間という種に限定したくないからです)

 

 

 

孤立してはならない。

たとえ今この瞬間に孤立無援であっても、無縁のままであってはならないと思う。

 


P.S.

これは、もうちょっと掘りたい。

折に触れ追記していくつもりです。