ひとりでなんでもできる(自立している)のがいいことだと思われてる節があるけど。
ひとりでなんでもできて(繋がることなしにひとりで完結して)しまったら、
それは周囲に見えない壁を作っているのと同じで、
「関係」が無い場面においては、そこに居るのはじぶんだけだ。
その人自身がそれを望んでいるならいい。
(時にひとりだけになれる時間や場所は必要だ。)
だけど、
そうでなかったら、その人は独りになってしまうじゃないか。
仮に。
一切の依存を排して
究極に自立した生き方に到達できたとして
それがいったい何を生むというのだろうか。
別に、生産的でなければならない等と言いたいのではない。
そもそも、
この世に生まれてきたものに何の意味もないなんてことはないはずだ、ということが言いたい。
価値とは往々にして他者評価であるが、それは本当に必要だろうか。
そんなものは求めなくともじぶんがじぶんと共にあればいいのではないか。
価値はなくとも、意味はあるのだ。
じぶんがじぶんと共にあり、
「その上で」、他者と関わる中でこそ「意味」が見出せるものなのではないか。
(ちなみにベジがいつも「他人」と書かず「他者」と書くのは、対象を人間という種に限定したくないからです)
孤立してはならない。
たとえ今この瞬間に孤立無援であっても、無縁のままであってはならないと思う。
P.S.
これは、もうちょっと掘りたい。
折に触れ追記していくつもりです。