ぼくは今「将来のこと/老後のこと」なんてまるで考えてない。
昔は考えていた。
というか、「考えさせられて」いた。
「普通の」人生設計のもとでは考えなくてはいけないことらしかったから。
まるで納得していなかったけど、押し切られてしまっていたな。
押し返すほど強い想いや考えなどなかった。
「将来のことを考えろ」なんてのは、その人の納得なしでは考えているようでその実考えてないよねと思う。
(特にこどもたちにそれを言うのは)
「今」を犠牲にした先のしあわせはほんものだろうか。
それがうまく機能することもあるのは否定しないけど。
誤解されると困るのでもう少し言うと、
ぼくは
今がよければ、今さえ楽しければそれでいい、とか
先のことなんて考えるだけ無駄、なんて思ってない。
「なるようになる」とはめちゃくちゃ思っているけど、
それは先のことがどうでもいいわけでは決してなくて。
今をたいせつにすることによって、将来(未来)をつくることができると思っている。
怠惰の先にはそれ相応のものが待っているとは思う。
けど、
立ち止まってしまったり、動けず(舵を切れず)にいたりすることがいけないとは思わない。
本人でなく他人がそれを怠惰であると断じたり、裁くのは違うと思う。
人それぞれにペースがある。
それを許さない不寛容こそ裁かれてしかるべきだと個人的に思うし、
他人を許さないことで、じぶんが許されない世界をつくるのは笑えないコントだと思う。
どうせなら、誰もが笑える、笑い合える世界であってほしい。