感覚としてわかっているのだけど。
ふと、「奪うよりも、与える方がじぶんを豊かにする」ということの、完璧な証明がほしいと思った。
仮説。
前提として、「万物は流転している」。
奪うことで、奪ったものは所有することができるが、
所有するということは、じぶんのところで循環を止(とど)めるということ。
奪うためには、他者という概念が必要で、
それゆえにじぶんとそれ以外のもの(世界)に切り離される。
奪うという行為は、自らその断絶をより強固にしているということでもある。
一方、
与えるという行為も他者という概念を必要とするが、
循環の始点となることで、じぶんを世界(循環の集合体≒大きな渦のようなもの)の中へと入れることができる。
「個で在りながら同時に全体でも在る」という一見すると矛盾した状態になることが可能になる。
ほんとうの循環とは円運動(おそらく、厳密には円運動と垂直方向への螺旋運動を伴う)であって、終わることがない。
じぶんが与えた先ももうひとりのじぶん(達)なので、じぶんが「受け取り、得続ける」ことになる。
個として所有し、ひとつところに止(とど)めておくよりもはるかに多くの
(それこそ天文学的な量の)「得る」「経験」をする=果てしなく豊かになる。
Q.E.F. …?
今はまだ、これくらい。