こどものために、パートナーのために、家族のために。
誰かのために生きるって、誰にでもできることじゃない。
でも、じぶんを「差し置いて」、「我慢して」人のために何かをする、
特にそれをし続けるのが当たり前になるようなら、きをつけたほうがいい。
そこには罠がある。
「誰かのために」やっていたはずのことが、
『「誰かのせいで」◯◯できない、苦しい思いをさせられている』
なんて、考えるようになってしまっていたりする。
こわいのは、「いつのまにか」そうなっているというところ。
相手が笑顔になることを、しあわせを、「じぶんが」望んで奉仕していたはずなのに、
相手によって苦痛を強いられる被害者に、「いつのまにか」変身してしまう。
そんな変身、したいなんて思ってなかったにもかかわらず。
そうならないにこしたことはないけど、
「いつのまにか」変身してしまうものだから、もとのじぶんに戻るために
「じぶんがそれをすることを選んだ」ってことをすぐに思い出せるようにしたい。
でも、
思い出したところで苦しいのは変わらなくて、
「じぶんで選んで決めたんだった、だからしかたない…」
ってなったりする。
これがふたつめの罠。
(まじめな人ほどはまる。)
ちなみにそこから抜けるには、
その苦しいのやつらいのを、誰かのせいとか自分のせいとかを抜きにして、
(じぶんを主語にして)「わたしは苦しいと感じている。」ってことを
誰かにぶつけずに、
変に隠さずに、
できるかぎり「そのまま」を誰かに差し出すように伝えて。
きもちを「シェア」をしてみたらいいと思います。
たぶん、それだけであなたのきもち、こころもちは変わると思いますよ。
(๑′ᴗ‵๑)