昨日の記事の、とある「お父さん」とは、初対面のとある社長さんで。
ご縁があって、武蔵小杉にある某店でお酒を飲んでたんですね。
お子さんが3人いらっしゃるとのことで、
ぼくの活動(ベジーシッターとかお父さんバンク)はどういう経緯で始めたのかとか、なんでやってるのか?とか、興味津々で聴いてくれてた。
で、こどもについての話ではあったけど、
なんだったかなあ
ぼくが「信じていること」についてだったかな?
話してたら…
お父さん、
泣いちゃった。
(お酒が入ってたってのもあるんだろうけど、)
「うわあ〜…ちょっと待って泣きそう…」って(言ってる時にはもう泣いちゃってたんだけど)。
もう、男泣き。
ぼくがいっしょにセッションをしたり、話している時に
その人の心の琴線に触れたからか、感極まって泣いちゃう人はわりといるんだけど、
男の人ではあまり記憶にない。
熊本にひとりいるけど、その人を除くと、いたとしても結構前のことかな。
(ベジは、女性からに比べると男性からの知名度が圧倒的に低いです)
お父さんの中にあったであろう、
こどもに対するやさしいきもち、
毎日笑顔にしたげたいってきもち。
それをさまざまな理由から、思ったままにこどもたちに注げないことへの苛立ち、自責の念。
ぼくはこどものことを無条件に信じていて、
特定の誰かとかでなく、「こどもたち」のことを愛していて、
ある時からこどもへのきもちを抑えることなく
じぶんの責任において思うままに行動してきたし、今もしているしこれからもしていくんだけど。
そこになにかを感じてくれたんだなあ、と。
そんで、そのお父さん(と世界中のお父さんたちに)に伝えたいのは。
「あなたは、あなたのこどもたちにとって世界一のトーチャンだぜ」ってこと。
ぼくはもちろん、他の誰かと比べないでいいってこと。
できていないことを責めなくていい。
そこには「ほんとうはもっとこうしてあげたい」ってきもちがあるってことじゃん。
でも「今はやらなきゃいけないことがあって、こどもたちが巣立つまで倒れるわけにはいかない」って思ってるんでしょ?
じぶんのこどもに対してそこまで真剣に考えてるじゃないですか。
他の誰よりも、だ。
その覚悟は、ぼくには真似できない。
ぼくの覚悟は、こどもを預かっている間だけでいいんだもん。
ぼくはこどもと全力で遊ぶし、全力で向き合ってるよ。
でも、(基本的に)たった一日でいいんだもん。
だから全力でやれてるってだけ。
それを、(わかりやすく成人が一つの目安だとして)20年スパンの覚悟をしてる。
下の子がいるなら、さらにその時間は長くなる。
そこまでできる、現在進行形でしているトーチャンって、世界中で「あなただけ」なんだよ。
それはつまり、あなたがあなたのこどもたちにとっての世界一のトーチャンであるってことの証明なんだよ。
違うかなあ?
ぼくはそう思ってる。
すごいのは、ぼくじゃなくて、あなたの方だよ。
あなたが、愛だ。
たとえじぶんが認めていなくても、
あなたはじぶん自身の、そしてだれかの光になれるって可能性そのものだ。
それを思い出してくれたなら。
そのまま、覚えたままでいてくれたらうれしいです。
(だってあなたと、あなたに関わる人と、あなたのこどもが周りの人たちをしあわせにしにいくから)
P.S.
冒頭のお父さんをイメージしながら手紙を書くつもりで書いたけど、
文中のトーチャンをカーチャンに置き換えても、おんなじことが言えます。
P.S.2
お父さんをイメージしながら書いたものの、いろんな人が読んでくれるだろうことも想定しているので念のため言っとくけど、
『こんなに悩んでるから、考えてあげてるから、がまんしてるから、私は相手を愛してるから厳しくしてもいいんだ、つらく当たってもいいんだ』っていう風に、
『じぶんは「愛」だから!』ってのを、誰かを軽く扱う「いいわけ」だったり免罪符として使うのはちがうからね。
てかやったっていいけどおすすめはしない。
「じぶんは愛だ」という建前/概念のみありきで相手と接しても、相手に伝わってるのは愛情じゃないから。
「じぶんは愛だ」っていう実感なしじゃ、だめだよ。
実感したら、あなたのまんなかから勝手に「溢れてくる」ものだから。
それを渡していくだけでいいよ。
それだけだよ。
ほんとうだよ。
P.S.3
これ書いたんで後日このお父さんに連絡したんだけど、
「(泣いちゃったのは)最近幼児虐待のニュースが多いから、そういうのも想像してうるっときたのもあったのかなあ」
とのこと。
やっぱり、優しい方なのでした。
(๑′ᴗ‵๑)