三が日が終わった後、ずっと待ってた状況がやってきて、ここぞとばかりに全力を尽くしたんだけどどうにもうまくいかなかった。
その後ぼくの傍に寄り添ってくれてたやつもいるんだけど、どうやらそいつの名前は「無力感」というらしい。
三が日のコースを自主的に延長して四が日にして、
今朝目がさめたら、いつもとは違う頭痛で、起床と同時に生ける屍となっていたぼくはさらにコースを延長して、三が日は結果、五が日になった。
屍りながらもいろいろに想いを巡らせていたんだけど、
ふと、あることにきがついた。
『全力を尽くした。やれることはやった。それでだめだったんだからしかたがない。でも…待てよ…?たとえ全力を尽くしたとして、それがダメなやり方だったとしたら、望むような結果にたどり着かないのはあたりまえじゃないか??』
『おれ、正しいやり方においては、まだ全力を尽くせてないんじゃん!!!』
全力を尽くせば、絶対結果はついてくるって思ってた。
自分で言っちゃうけど、ぼくは命をかけてることには、そこに邪念をはさまないから。
そうすれば「叶う」って知ってるから、信じてる。
ただ、そのせいでいつの間にか目的が「全力を尽くすこと」にすり替わっていて、そこにきがついていなかった。
…っていうことにきがついた。
そして思った。
『おれにはまだ、やれることがある』。
そうしたら、頭痛かったのがうそみたいにすーっとひいてって、ガバッと起き上がれた!笑
力が、湧いてきた。
ほんでみんなに言いたいのは、
全力を尽くしてできる全てをやりきってダメだったとしても、
それは「この先においてもやれることがなくなった」とイコールではない、ってこと。
「あきらめちゃダメだ」
なんてことが言いたいんじゃない。
あきらめたってかまわない。
絶対に成し遂げたいことがあるなら、それを完全にあきらめる前に、
もう一度「確かめる」こと。
「じぶんにはまだ、やれることがある」。
少なくともぼくとっては、それは希望であり、救いだ。
確かめてみたその上でもう一度全力を尽くして、
それでもだめだったとしても、
そのとき抱えることになる後悔はきっと、限りなく少ないと思う。
後悔にさよならを告げるいちばんいい方法は、きっとこれなんだと思う。