死ぬほどつらくて苦しかったら、そこから逃げてもいい。
あきらめてかまわない。
大事なことはそんなんじゃない。
ほんとうに死んでしまうくらいなら。
あなたがあなたを保てなくなるくらいなら。
負けないこと
投げ出さないこと
逃げ出さないこと
信じ抜くこと。
そりゃあたしかに大事だけど。
だけど、
それはじぶんで「そうする!そうしたい!」と思えるのなら、なのだと思う。
「逃げてもいい」ってことを「いいわけ」にして逃げたとしたら、
それはあなたを本当の意味では救わない。
逆に巣食われると思う。
罪悪感や後悔に。
碇シンジの「逃げちゃダメだ」が皆の心を打ったのは、
逃げちゃダメだから、他の誰かがそう言ったからって逃げなかったのではなく、
誰のせいにもせず、「逃げちゃダメだ」とじぶんで決めたからだと思うんだよね。
「(とても怖い、今すぐに逃げ出してしまいたい、でもここで逃げたらぼくはこの先ずっと逃げ続けることになるきがする…それはぼくはいやだ、だから)逃げちゃダメだ」
だったのだと思う。
これまで何度か書いてると思うけど、
自分で何かを決めた、
壁をぶちやぶろうとしている人の目はほんとうに美しいんだよね。
小さな子であっても、そう。
ワンパンマンの無免ライダーの
「勝てる勝てないじゃなく ここで俺は お前に立ち向かわなくちゃいけないんだ!」
も、逆立ちしたって勝てっこない相手との戦いの最中でのセリフだけど、
戦ってるのは自分の弱さとだと思うんだよな。
別の言葉で言うと、
「ぼくがぼくであるために 勝ち続けなきゃならない」
だ。
誰かと勝負をしているうちは、
勝ち負けに「頼って」いるうちは。
勝負に勝つ(他者を下す)ことによって自分の存在を守ろう、確立しようとしているうちは、
いつまでたっても脆くて、弱いままなんじゃないかと思う。
「じぶんが、今、どう在りたいか」なのだと思う。