レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、いっしょに遊び楽しむことを通してこどもの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。(できる時に、更新。)

【重要】今後のシッターのご依頼について

ベジはこどもを預かることに対して、こどもの安全に関わること以外に条件をつけるのが「ヤダです」だったんだけど、

 

ジーシッター/お父さんバンクの依頼種別を問わず今後は条件をひとつ、付けることにしました。

 

 

 

それは【ぼくがマスクをしないこと】です。

 

 

 

【追記】

【3ヶ月以内に】本人およびその家族(同居者)が新型コロナワクチンを接種した方」からのご依頼についてもお断りします。

(※上記の期間については暫定的に設定したものです。今後変更する可能性があります。)

recrea.hatenablog.com

 

 

 

『このご時世に、なんて非常識な!』と思われるかもしれませんが、

 

ぼくは至って真剣です。

 

マスクに全く意味がない、とまでは言いません。

ちなみに1年前に手作りマスク作成方法の記事をアップしてました。

 

が、メリットとデメリットを考えた時、全ては書ききれませんがあまりにもデメリットの方が多い/大きいと考えているからです。

 

ぼくはもう長いこと、日常生活においてマスクをしていません。

 

外出の際、買い物時や電車・バスの中であってもしていません。

(当然ですが絶対にしないというわけではなく、粉塵の中での作業とかなら普通にします)

 

いわゆる酸欠で頭痛になり深刻に体調に影響が出てしまうというのが短期的かつ根本的な理由ですが、

 

それ以外で大きな理由のひとつとしてはマスクを常用することによって、

 

(そもそも比べるべくもないんだけど敢えて言います、)マスクなんかよりよっぽど大事な身体の免疫力を著しく損なうからです。

 

これはぼく個人の志向にとどまりません。大人ももちろんだけど、こどもたちの心身への影響はもっと議論されてほしい…!

 

おかしいんですよ。既にマスクが義務かのようになってしまってることが。

 

マスクさえしていればOKな社会。

 

メディアの言うことを鵜呑みにし、自分で考え調べることを放棄した(させられた)人たち。

 

ぼくは自分や自分のたいせつな人の命を、人任せにしたくはありません。

 

 

 

「マスクなんてしているうちに慣れるよ」と言われるかもしれません。

 

人間の身体が環境に順応(しようと)することはよく理解していますし、

(一応ぼく、肉魚介類を食べないでも健康を維持できるか自分の身体で10年以上人体実験をしてきてる人です)

 

というか、「(身体によくないことがわかっているにも関わらず)慣れちゃダメ!」だと考えています。

 

 

 

「必要であれば」します。

 

例えば、外出先でお子さんを預かった際にその場所にいなければいけないのにマスク着用必須ということがその時判明したとして

 

「あ、ぼくマスクしたくないんで」ってお子さんだけそこに放置なんてことはできないですよね。

 

でも、お子さんや親御さんと接すること自体には基本的にはその必要がない、という認識でいるわけです。

 

 

 

ジーシッターであれ、お父さんバンクであれ、

 

ぼくが日常的にマスクをしなくなってから託児ご依頼があった際には必ず、その旨を隠さずお伝えしています。

 

(ちなみに「うがい手洗いを徹底し、水をこまめに飲む」という感染症対策をしていることも併せてお伝えしています)

 

いくら依頼が激減したからと言って、こどもと遊べさえすればいいなんてことはなくて、この事実を伝えないなんてのは卑怯だし、誠実でなく相手に失礼だと思うからです。

 

(さらにちなみに、依頼メッセージが来て上記のことを伝えたら返信が来なくなるというのが立て続いたことがあって、地味に凹みました。たぶん「マスクしてないとかこいつヤバい奴だ…!」とか思われたんでしょうね。もちろんそう感じたとしてその人の自由だけど、自分からお願いしてきといて返事もしないのは失礼だなと思うので、そういう方からの依頼はもし次来たとしてもお断りします)

 

「このコロナ禍でマスクはもはやエチケットであり、マナーだろ!」

 

「ただマスクするだけでいいのに…」

 

という考えの方とは根本的に合わないと考えています。

(議論にもならないと思う、だってそもそも「対話」するつもりがないから)

 

これを発表するかどうかも長いこと考えていたのですが。

 

だってもはやマスクするのが「常識」じゃないですか。

 

冒頭でも書いたけど、常識から外れている=非常識であることはわかっているわけで。

 

でもそれが非常識かどうかは関係なくて、ぼくはおかしいことには「おかしい」と言いたいんですよね。

 

 

 

ぼくはこの先もきっと日常生活において基本的にマスクはしないから、

 

シッターの機会はこの先ずっと「コロナ以前」より少ないままかもしれないけど

 

「ま、しょうがないか」と思うようになりました。

 

 

 

自らの身体を強くして護ることを意識し、身を削って、というか自分を殺してまで自分の喜びを確保したいとは思わない人と、

 

不安を排除することによってのみ身を護ろうとするも、結果的に身を削り自分を殺してでも(顔の見えない)大勢の人たちの顔色を伺う人では

 

お互いにかみ合わなさすぎるから実際に出張に結びつくことはないはずで、これを発表したところで結果は変わらないよな、と。

 

 

 

ぼくは相手がマスクしてないと不安に感じる方に対して、「マスクなしを許容しろ!」と言うつもりなんてないし、

(それって、本質的に暴力じゃないですか)

 

(相手がぼくでなくても)マスクしたくない/できない人に「マスクして下さい/しろよ」って強要するのは違うと思う。

(それもやっぱり、本質的に暴力ですよね)

 

 

 

日本でよく耳にする台詞。

 

「みんなの迷惑になるから」、「みんなガマンしてるんだから」 。

 

そんなの、誰かの在り方を「変えよう」、「圧し潰そう」としていい理由になんてならないと思います。

 

(誰かの在り方を変えたかったら、アプローチの形は「お願い」の形であるべきです。違うでしょうか?)

 

 

 

というわけで、

 

【(基本的に)ベジはマスクをしないけど、そこがあなたにとって問題でなければそれ以外はこれまでと何も変わらずご依頼いただけます】

 

という重要なお知らせでした。

 

以後ご承知おき下さいますようお願いいたします。

 

 

 

P.S.

 

なるだけ言葉を選んでいるつもりですが、不安で不安でしかたがない方からしたらとんでもない聞こえ方になっているかもしれません。

 

でも、「ぼくは」こう思うんです。ごめんけど。

 

あなたがぼくと180度異なる考えを持っていたとして、否定はしません。

 

ただ、できたら

 

世界中のみんな…の前に、ひとりひとりの「あなた」も心安らかで健やかであってほしいと思います。