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事件が、起こりました。
そしてこの日、ぼくの「闘い」はここから始まる。
來樹くん「…ママのところ、行く!(´;ω;`) 」
あるだろうなとは思ってた。
最初から乗り気じゃなかったし、ぐずってたし。
予想はしてたけど、
覚悟もしてたけど、
ただ、想像以上にしんどかった。
美紀さんはコンサル会のことを「おしごとやねん」と來樹くんに伝えていたからぼくも
「來樹くん、ママね、おしごとなんだ。だから、戻っても一緒には遊べんよ。」
と伝えるも…
「ママに会いたい!!!(´;ω;`) 」
からの、
号 泣 。
まあ、大人の都合なんて関係ないよね。
彼は「ママに会いたい」んだもん。
ただそれだけだもん。
この日、
ぼくには決めていたことがあった。
(美紀さんにも伝えていなかった)
それは、
彼が、お母さんといないことでさみしくなってどんなに泣きわめいたとしても、
絶対に
「嘘をつかない」ことと、
「逃げない」こと。
そして
自分ひとりで乗り越える経験をしてもらう、ということ。
彼を適当な嘘で騙したり、モノで釣ったり、
彼の「ほんとうにほしいもの」から気をそらしてごまかしたりはしない、ということ。
彼の「行動」に異を唱えても、「感情」は否定しない、認める、
こども扱いせず同じ目線で「ひとりの人間」として向き合う/対峙するということ。
傍にいて、寄り添い、応援はするが、力は貸さない。
「こうしてみな?」と道を指し示しもしない。手を引きもしない。
ひとりで闘わせて、ひとりで決めさせ、ひとりで乗り越えさせるということ。
「…なにそれ重い」って?
言われてもしゃあないと思う。
フツーに、ジョーシキ的に考えたらね。
別に美紀さんから頼まれたわけではない。
でも絶対に、「意味も、意義も、ある」という確信があった。
そして何よりぼくがそうしたかった。
好きな人には、大切な人には、そう接したい。
ぼくはこどもが好き。
だから「そうする」と決めていた。
ただの「託児」で終わるのではなく、
いっしょにいられる限られた時間の中で、
できる限りの「子育て」をすると決めていた。
血のつながりも、何の関係もなくとも、
「こどもと向き合って、彼らの生きる力を育てたい」。
前からずうっと思ってきたことだからだ。
「こどもには親が必要」ってのは、確かにそうなんだけど、
それが表現として核心を突いているかというと、そうでもないと思う。
イッパンテキには「母親と父親がふたりで育てるべき」とか、言うのかもしれないけど、
ほんとにそうか?って思う。
だいじなのは、
こどもに対して届ける愛情の「総量」や「濃度」、「多様性」なんじゃないだろうか。
条件的に何不自由無く育っても、他人を愛せない人なんてくさるほどいるし、
実の両親がいない環境で育っても、他者への愛に満ち溢れる人もいる。
だから、
もう一歩踏み込んだ言い方をすると、
こどもには「親」が必要なのではなく、
「『親のように』傍に立って見守ってあげられる人」が 必要なのだと思う。
それを実践している人たちの属性として「親」という関係性の人が多い、ってだけのことだと思う。
話を元に戻そう。
來樹くんがママに会いたくてさみしくて、歩道に座り込み、泣き出してしまった。
それはもう「ギャン泣き」というレベルを超えて、嗚咽だった。
ぼくはこどもが号泣する様は(見ててつらいけど)見慣れてはいるものの、
『食べたものどころか魂まで吐き出してしまうんじゃないか?』
と一瞬不安になるくらいの様子だった。
ただでさえ炎天下で汗をかいていたのに、
全身からさらに滝のような汗を流していた。
声も、涙も、絶望も、彼の中のありとあらゆるものを出しきろうとしているようだった。
そしてすごいのは、彼はそれを30分以上も続けていたことだ。
見てるこっちまで胃が痛くなってきそうだった。
ていうか、痛くなった。
『俺のエゴで、自己満足のためにいたずらにこどもを苦しめて、これで本当にいいんだろうか?ていうかこれは虐待じゃないのか?』
ぐるぐると、自問自答した。
でも、思った。
『たぶん俺はまた「正解」に、「正しさ」にすがろうとしてるだけだ。』と。
そして、
『俺はこの人に強くなってほしいし、それで笑ってほしいだけだ。それは、間違いない。』
と思った。
ここでぼくが自意識に音を上げて、折れてしまったら意味がない。
意味がないどころか、彼は無駄に長時間、死ぬほどつらい状況に放置されただけになる。
そして「泣いたら助けてもらえた→泣けば、どうにかしてもらえる」なんてカンチガイを刷り込んでしまったら、
彼の「生きる力」を奪うことになる。
ぼくは、ハラを決めた。
そして、『つらいけど、その悲しみをとことん感じきれ!!』と思っていた。
『あなたが世界で一番大好きなママと離ればなれでいなければならない状況が、
きっとこの先たくさんある。いやになるほどある。
その時必ずしも助けてくれる人がいるとは限らない。
ひとりで立ち上がって、ひとりで乗り越える、自分自身の力で乗り越えられるんだということを、
今、経験しておこう。そしてそれを、覚えておこう。』
そう思った。
彼が泣き始める前から、
あれこれ遊んでなかなか進まないから代々木公園に行くことはぼくの中でもはやマストではなくなっていたけど、
この時点で完全にどうでもよくなった。
今日一番大事なのは「今ここ」だと。
「どれだけ時間がかかってもいい、彼が『ここ』を乗り越えることができたらそれが今日のゴールだ」と思った。
いっこうに泣き止む気配のない彼を抱きしめようとした。
→拒まれた。
じゃあ、抱きしめるのがだめなら、手をつなごう。
→振り払われた。
ぼくの身勝手な愛情表現だ、受け入れられなくてもしかたがない。
いくら事実で、適切な表現であったとしても「今はママと会えない」ということを、
2歳の泣いているこどもに言葉での説明で理解してもらえるとは思えなかった。
だから、態度で示すことにした。
『俺はあなたが今感じている悲しみを癒すことはできない。けど、絶対にあなたを見放さない。』
『俺はあなたを信じてるよ。』
『あなたはだいじょうぶだよ。』
心の中で念じた。
特に、
『あなたはだいじょうぶ。』
を繰り返し繰り返し、念じた。
泣き止みそうになってはまたぶり返す、を繰り返す彼を、からだに触れずにひたすら見守った。
しだいに、嗚咽も収まってきた。
そんな状況で(これは不謹慎というか失礼なのかもしれないけど)、
流れる汗も涙もそのままに、どこか宙の一点を「クッ」と見つめながら悲しさに耐えている様を見ていたのだけど、
その横顔が、とても「美しい」と思った。
ひとりの「人」が、全力で困難に立ち向かって、乗り越えようとしている姿は、
大袈裟に言うと神々しく、正直ぼくは見惚れてしまっていた。
あまりに美しいその様をカメラにおさめたのだけど、
これは、お母さんの美紀さんにだけしか見せない。
ちいさなこどもでも、「男の子」は自分の泣いている顔は誰にでも見られたいものではないと思うから。
そうしているうちに彼は、姿勢を保っていられない様子で、フラフラし始めた。
眠たそうというよりも、電池切れで「気を失う」寸前という感じだった。
歩道で座りこんだまま、地面に倒れそうになる頭を、手で支えた。
もう振り払われはしなかったので、そうっと抱え上げて、
眠りに落ちたまま時折小さくしゃくりあげる彼を、ベンチに座ってずっと抱いていた。
彼からしたらこの世の終わりのような気持ちだったことだろう。
だけど彼は意識を保っていられる限界を超えてまで、とうとう耐えきった。
「誰がなんと言おうと、この子は今日、世界で一番がんばった!!」
と誇らしげに世界中に言ってまわりたい、そんな気分だった。
小一時間くらいだっこをしたままベンチに座り、
彼を起こしてしまわないようできるかぎりじっと動かずにいて。
汗もかいたし、腕とお尻がしこたましびれたけど、
それも心地よいと思えるような、満たされた気持ちの中にいました。
つづく。