レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、こどもと遊ぶことを通して彼らの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。

俺ファースト and the ギブギブ気味ーズ 〜ギブとテイクと循環と〜

今日も実体験を元に考察するシリーズ(?)、

今回は「ギブ&テイク」と循環について。

 

同じギブとテイクであっても、

うまくいく形とそうでない形がある、という話。

順番に挙げていこう。

 

 

【ギブ&テイク】

 

与えると、もらえる。

もらったら、与えたくなる。

これがいわゆる基本の形だと思う。

 

AとB、ふたりの人がいたとして単純化すると、

「きもちを乗せたモノやコト」(以下、「愛」とする)がAB間を1往復することでプラマイはゼロとなり「循環」が完成し、

AとB、ふたりの人間がハッピーになってフィニッシュ。

(ここではAB間に発生するであろう次の展開(往復)については割愛するけど、続いていく「可能性」は充分「ある」。)

 

 

【テイク&テイク】

 

意図してもらっていくばかりで与えないのは、第三者から見ると「一方的に奪っている」状態。

AがBからどんどん「愛」を奪っていく。

それを甘んじて受け入れてくれる人は、無尽蔵の愛を備えた人でなければ、

よほどのドMでしょう。笑

「愛」が移動した軌跡は一方向で、Aひとりだけがハッピーになってフィニッシュ。

その次への展開がない、続かない(可能性が高い)。

 

 

【ギブ&ギブ】

 

意図して与えるばかりでもらわないのは、第三者から見ると「一方的に捧げている」状態。

AがBにどんどん「愛」を捧げていく。

「愛」が移動した軌跡は、これも当然一方向で、Bだけがハッピーになってフィニッシュ。

「のように」見える。少なくとも第三者の視点では。

その次への展開は?

「ただ与えることもAにとってはハッピーなのだ」とBが納得していない限りは、続いていかないのだろう。

 

ぼくが無償でベジーシッターをやっていてハマったのはここなんだよね。

 

誓って言うけど、

ぼくはシッターの対価を設定せず、報酬をもらわないことで、自分を犠牲にしたことは一度もない。

「がんばった」ことは何度もあるけど、それも無理のない範囲で、だ。

 

ぼくはこどもと遊べるだけで本当にハッピーだし、都度それを伝えてはいたのだけど、

そこに納得感を持ってもらうには至らないことがあったのだと思う。

 

ただそれに加えてぼくは、

「条件なしに優しくされていい、そういう世界はある」

って思ってて、

自分が実際にやってる限りはその世界はリアルに在り続けるわけだからやってたし、

それがもっと一般的に、当たり前になったらいいなと思ってた。

 

“Pay Forward (ペイ・フォワード)”

いわゆる「恩送り」の試みでもあった。

結局は巡り巡って還ってくるしなー、って思ってた。

 

 

上記の説明を「ペイ・フォワード」に当てはめると、

「愛」が移動した奇跡は一方向ではあるけれど、直線ではなく緩やかな弧を描いていて、

最終的におーーっきな円になって自分のところに戻ってくる。

「循環」はしっかりと完成し、フィニッシュ。ってこと。

 

だからぼく的にはほんとになーーーーんも問題なかったんだけど、

 

結局のところ、

(誰もがそうだけど)「自分本位」という形から脱した状態にできず、ぼくのエゴを押し付けてただけだったんよね…。

「こうなるはずじゃん」っていう理屈を、イメージをちゃんと描いて、ちゃんと相手とシェアできてなかった。

 

でも、

その「軌跡」、そのルートの上を「愛」がちゃんと循環するイメージを目に見える形で提示できたら、

それは実現するってこともなんか、確信した。

 

『あ、シンプルにそれだけだわ!』

 

って思ったん。

 

ベジーシッターを料金制にすることを決めた時点では、

もうそうするしかないんだってことは自分でわかってたから発表したんだけど、

それでもまだちょっとモヤってた。

 

でもね…

 

 

そんなにまだずっと先がはっきり見えてるわけじゃないけど、

それでも今はもうスッキリしたよーー!!

 

こんな僕にやれることはこれしかないって気がするんだ

だから、

こっから「循環」、させてきまーーす!!

+。:.゚ヽ(*´ω`)ノ゚.:。+゚

 

 

 

P.S.

今日のサブタイは

パンクバンドのMe First and the Gimme Gimmes から!

(๑ÒㅅÓ)ノ