6月が終わりました。
ぼくの誕生月のこの1ヶ月は、
自らの自尊心との闘いでした。
自分自身のことは大切にしてあげていい。
ありのままで既に素晴らしい自分を認めてあげればいい。
でないと、「生き苦しく」なるから。
自分以外の誰かの人生を生きることになってしまうから。
自分で自分を糧にして、
自分を活かし生きていく。
そのためには自分自身を大切にしてあげなければならない。
でも、ひょっとしたらー。
自分を大切にしようとする「自尊心」というやつは、
そんなにかわいがるものではないのかもしれない、と思った。
自尊心を両手で包み込むように、
だいじにだいじに、守ろうとするばかりでは、
自尊心は育っていかないのではないだろうか。
両手で覆えるくらいの大きさに留めておく必要なんて、ないのではないだろうか。
両腕で抱えるような大きさに膨らませることだって、できるのではないだろうか?
平時においては、
自分の確からしさをからだに纏っていられるように。
逆境においては、
自分を奮い立たせ、強く推し進めていくことができるように。
底なしの闇に飲まれてしまったとしても、
手を伸ばし、手繰り寄せることのできる微かな光に。
できるのではないだろうか?
ぼくは、
なにがぼくのしあわせか、
なにをしてよろこぶのか、
知っている。わかっている。
笑っていたい。笑わせたい。
自分と、誰かを幸せにしたい。
だから人に優しくなりたい。優しくありたい。
そんな数々の身勝手なエゴを携えたまま
「どれくらい遠くまで行けるのか」。
わからないままおわる…なんて、
そんなのはいやだよね?と。
6月最後の夜、疲れ果て回らない頭の中に浮かんだバラバラのイメージを掬いとり
つなぎ合わせ、目をこらして見てみたら、
あのうたに乗せたメッセージが浮かび上がってきたのでした。
勝ったか負けたかわからないけど、
脚を繰り出し続けられる限りは、前に進み続ける自分でいたいのだと思いました。
それではことしの「後半戦」を始めます。
さあ、さっさと「遊ぼう」!!!