ある場面では潤い、あたたかく満たされていた心が、
別の場面ではカラカラに干涸びてしまっていることがある。
いつまでだって、ぼんやりとならきっと生きてはいけるけど、
自分自身を「活かし」て、ドライヴさせていけないような時がある。
そんな時は、そんな気分なんだからそのまま流されていればいいんだけど、
胸の奥底からむくむくと、何かがわき上がってくるような、「予感」がしたら、
何を差し置いてでもそれは掬いとってあげなきゃいけない気がしている。
(↑「救う」は、「掬う」がその語源なのかもしれないと思った。)
がんばる必要なんて実はどこにもなくて、
「がんばらなければいけない」とされている「状況」が自分の目の前にあるだけ。
そこに立った時、がんばりたかったらがんばればいいだけの話。
それを忘れて「状況」なんぞににヘーコラし続けてると、
ほんとうに組み敷かれて、奴隷にされてしまう。
慣れって、怖いよ。
必要なのは、
立ち止まって、次の一歩が踏み出せなくなっている時、
自分から手を伸ばしさえすればしっかりと応えてくれる、
「心に火を点けてくれる」そんな存在だと思う。
それは人でもいいし、ものでもいいし、なんだっていい。
ぼくは昔よく、友達が立ち止まってしまっている時に、
「友達と音楽と、時間があなたを救う」というようなことを言っていたんだけど、
(中村一義の『金字塔』や『太陽』なんか、ほんとうに効くと思うんだよなあ)
最近、漫画もやっぱりいいなあ、って。
あ、今日夜漫画喫茶に行ってきたんです。(ほんとはここから言おうとしてたんだけど、ここまで長かったな…笑)
『あひるの空』がとても好き。(←最新の44巻が出た)
『君に届け』も最近人におすすめされて激ハマった。
単純に言うとそれぞれジャンルはバスケと恋愛模様で全然違うんだけど、
登場人物たちが、自分から逃げずに自分と闘う、闘おうとする姿が好き。
わかりやすい解決なんてないまま、
青いまま、こんがらがったまま、
それでも自分で決めて、歩き出していくその様。
闘いたい、
思うように闘えなかったとしても立ち向かっていきたい、
少なくとも、ファイティングポーズだけは決める自分でありたい、
そういう想いが胸の奥底から涌き上がってきたのに気づいたら、
「彼ら」の力を借りて、使えるものはなんだって使って、
何度だって自分を甦らせる自分でありたいと思う。
いまはまだひよこでも、人は生まれながらにして皆フェニックスで、スターだと思う。