レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、こどもと遊ぶことを通して彼らの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。

海へ行く(ことで何か始めようなんて)つもりじゃなかった

海に行ったことがきっかけで始まったことで

 

一番おっきなことが、

 

ジーシッターかなあ。

 

確かこの時の片瀬海岸でのイベントだったと思うけど、

 

ほんのひとことふたこと喋っただけの参加者の方が、

 

後日このブログ立ち上げて「こどもが大好きなのであなたのお子さんと遊ばせてくださーい!」って宣言したのを見て、

 

お友達に紹介してくれたのよね。

 

「よく知らないけど、でも多分悪い人じゃないよ!」って。笑

 

それで依頼もらったのが初めての出張託児だったん。

 

もう4年経ったのか。

 

ほんとにあっという間だったな。

 

 

https://www.instagram.com/p/2nNCMkpfr8/

俺ならビーチに来てるよ#お先に失礼します #乾杯 #ビール

サプライズでリプライズ

昨日の記事

recrea.hatenablog.com

 

で書いたべジーシッターの後の話。

 

習い事があるためバス停に行き見送った小4男子と入れ替わりでママさんが帰ってきて、

 

少しお話しした後、近所のママ友(以前べジーシッター依頼してくれてベジも知ってる)のとこに行くことになってる、と。

 

んでせっかくだしといっしょにおうちに行くと、小1男子(小4男子と兄弟みたいな感じ)と中2のお姉ちゃんがお留守番中。

 

「お母さん帰ってくるまでベジさんと遊ぶ?」と訊くと小1男子は、

 

(小4男子ママ曰く)「とろけそうな笑顔」になって。笑

 

隣にある公園で遊んだ。

 

ベジのひっさつわざ【せなかでどこだ】はこの日も完全に会心の一撃で、

 

テンション爆上がりでその後肩車してロボ操縦ごっこしたり。

 

さらには「そうだ!自転車見せる!」とすっ飛んでいき颯爽と登場したりと、

こういう時に「いや、いいよ別に」等と無粋なことは決して言ってはいけません(๑ÒㅅÓ)ノ

 

短い時間ではあったけど、

 

ベジにとってはボーナスタイムで、彼にとってはサプライズプレゼントになりましたとさ。

(๑′ᴗ‵๑)

 

 

ぼくは出張託児の後ろには基本的に予定を入れません。

 

親御さんが予定時刻に帰ってこれないことがままあるので。

 

それでも時間が来たからってこどもを置き去りになんてできるはずがないからね。

 

余白をつくっておくとこんなうれしいこともあるね〜、っていう話。

(๑′ᴗ‵๑)〜♪

 

最近は5月末で家を空にして出てかなきゃならない(そしてあと一週間だけど未だに家が決まってない)ので、大量にあるモノの処分に追われてるけど…!(;´Д`)ハァハァ 

 

 

 

P.S.

 

とろけそうなえがお

(๑′ᴗ‵๑)

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もういいかい、なあ兄弟 それでもやめらんない

ジーシッターしてきましたー。
( ´ ▽ ` )ノ

 

ベジのことが好きすぎる小4の男の子。
(この子の過去記事はこちら)

recrea.hatenablog.com

 

あ、今回は託児レポじゃないです。

 

5/4のフリートランポリンにもお父さんと来てくれたんだけど、

 

その前に沖縄に旅行に行ってたらしく、おみやげをくれまして。

 

それがこちら。

 

↓↓↓

 

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シーサーがかわいい!(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

 

そして…

 

 

なんくるないさ〜」メッセージ入り!!
(((o(*゚▽゚*)o)))

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なんくるないさ〜」

 

 

「なんとかなるよ、だいじょうぶだよ〜」の意味なので、

 

【だいじょーばー】(『だいじょうぶ』という概念が好き)のベジとしては、うれしいわけです!

(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

 

(『だいじょうぶ』についてはこちらの記事を読んでみてね ↓ )

recrea.hatenablog.com

 

 

さらに何がうれしいかって、

 

わざわざじぶんのおこづかいを出して買ってくれたことと、

 

(その場を見てたお母さん曰く)「ベジさん何がいいかなー…!」ってウンウン悩みながら選んでくれてた、ってこと。

 

ほんとうに好きだな!!ベジのこと!!

(`•͈ω•͈´)

 

 

 

つってもね…

 

ぼくもね。

 

前におうちにいる時に彼からもらった、原料が砂糖じゃないキャンディ。

 

「ありがとう、帰りに食べるね!」って言ってリュックにしまったんだけど、

 

その夜帰ってる途中も、

 

そして日が経っても、

 

なんかもったいなくって食べられんで、

 

ずーっとリュックの中にお守りみたいに入れてるんよね。

(´•͈ω•͈`)

 

いつまでたっても食べられない。

 

『ああ、これは◯◯がくれたやさしさだなあ〜』、って。

 

 

 

あんま人のことばっかネタにできんね。笑

 

ほんとうのお兄ちゃんのように慕ってくれてベジさんとってもうれしいよ。

 

ほんとありがとうだよ。

(๑′ᴗ‵๑)

 

 


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「あやまりなさい!」というあやまり

こないだべジーシッターでこどもたちと児童館に行った時のこと。

 

ママさんがひとり見てるそばで2〜3歳くらいの子同士がおもちゃの取り合いしてて、

 

よその子に手が出ちゃったのかなあ、ママさんがその子(じぶんの子)に

 

「それはダメでしょ!あやまりなさい!」って怒りながら言ってて。

 

 

 

ぼくはそれ見て、「う〜ん…」って思った。

 

しつけ/マナーという観点からするとどう見たって正しいんだけど、

 

その子の情操教育という観点からすると…決して花マルではないぞ、と。

 

 

 

何がこわいって、

 

「あやまりなさい!」ってその言葉の裏には、無意識であろうと

 

「あなたは間違っている」というメッセージが自動的に込められてしまうから。

 

後でフォローするってのももちろんアリなんだけど、

 

ぼくからすると理想的なのはフォローしつつ「じぶんから」謝れるように促すことで。

 

「しでかしてしまった」子のきもちも、

 

できるかぎり「その場で」大事にしてあげてほしいんよね。

 

その行動に出た理由をきいてあげてほしいし、

 

少なくとも「必ず理由がある」ということは思い出してほしい。

 

悪いこと、ダメなことをしたくてする子なんていないから。

 

 

 

親御さんとしては、「ちゃんと謝れる子」になってほしいわけよね。

 

そりゃそうだ。

 

じゃあ、同じ「ちゃんと謝れる子」でも

 

「(問題が起きた時に表面上は)ちゃんと謝れる子」と、

 

「(じぶんの非を認め、相手の心情に共感した上で)ちゃんと謝れる子」と、

 

どっちがいいですか?

 

(まあ、↑の例えは極端だけれども。(´・ω・`))

 

 

 

日本ではよく「人に迷惑をかけてはいけない」って教えられるけど、

 

これのせいってのはだいぶあると思うな。

 

「(じぶんにも他人にも)失敗を許さない」という、もはや呪いだと言っても過言ではないきがする。

 

(※だからって迷惑かけてもきにすることはない、ってことでは決してないですよ!)

 

インドで教えられているという、

 

「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」

 

という考え方のが、どっちかというとぼくは好きなんだよなあ。

I wanna be your ◯◯, kids.

こないだ、Lokahiってロミロミのサロンをやってる友達のエリーさんと電話してて、

 

やー、6月から住む場所がまだ決まってないわー、やっぱしばらく放浪かなあって言ったら

 

「だったら、遠いけどベジさん絶対あそこ行った方がいいよ!」って勧められたとこがあって。

 

 

 

鹿児島県霧島市に本部がある

ひより保育園さん。

hiyorihoikuen.com

 

 

 

ググって公式サイト見てみたら、

 

キャッチフレーズが

 

“こどもたちの、「親友」でありたい。”

 

でさ。

 

 

 

もうこれだけで、『ああ、俺絶対ここ好きだわ』と思ったのね。

 

これだけでわかる。

 

だって親友ってことは、

 

どっちかが上とか下とかなくて、「大人とこどもが対等である」と考えてるってことだもん。

 

エリーさんの友人で、同じグループの園(だったかな?)に勤めてらっしゃる方がいるそうで、

 

その方曰く、

 

こどもをこどもでなく、「小さな人」として接するのを大事にしてるんだって。

 

ほんそれ!!!

 

ぼくもそう思ってる。

 

 

 

エリーさんには「そこで働いちゃえば?」って言われた。笑

 

一応求人見てみたら、パートタイマーでも保育士免許が要る。

 

一つところに腰を落ち着ければこどもたちと「深く」関わることができるけど、

 

ぼくはまだ多くのこどもたちと「広く」関わる方をやっていたいのよね。

 

前もどっかで書いたな。

 

だからこちらで働くことはできんけど、

 

すごくすてきなとこに違いないから、

 

なんかイベントとかで呼んでもらえたらいいなーって思ったよ。

(๑′ᴗ‵๑)

今日のハッピー、みつけたね

先日の出張託児の寝かしつけの時に、【絶対に寝ちゃいけないゲーム】で脱落しなかったお姉ちゃんに、

 

以前紹介した【しふぉんせ】ことみつぎしほさんのメルマガで知りベジ自身も実践している 【今日の3ハッピー】について、ここぞとばかりに話してみました。

( ´ ▽ ` )ノ

 

【今日の3ハッピー】についてはこちら

 ↓

recrea.hatenablog.com

 

 

弟くんを起こさないよう、ひそひそ声でおしゃべり。

 

べ「ねーねー◯◯ちゃんさー、今日なんかいいことあったー?ハッピーなこと。

 

お姉ちゃん「えー、ないよ?(´・ω・`)

(※そんな反応も、もちろん想定済)

 

べ「そっかー。ベジさんはハッピーなこといっぱいあったよ!

 

お姉ちゃん「えー、なになにー?

 

べ「ベジさんがここに来た時、外で隠れてたでしょー?(←ベジは訪問時よくやる)◯◯ちゃんが見つけてくれて、うれしかったんだー!

 

お姉ちゃん「そうなんだ〜♪

 

べ「◯◯ちゃん、ベジさんが来た時、よろこんでたけど、うれしかったー?

 

お姉ちゃん「うん

 

べ「うれしいと思ったんだ!え、じゃあ…ハッピーあったじゃーん

 

お姉ちゃん「ほんとだー!(((o(*゚▽゚*)o)))

 

べ「あ!ベジさんハッピーもういっこ見つけた!◯◯ちゃんがベジさん来てよろこんでくれたことがベジさんうれしい!やったー、ハッピーふたつめー!(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

 

お姉ちゃん「やったー♪ (๑′ᴗ‵๑)

 

ってな具合に。

 

 

 

こどもといっしょにこういうコミュニケーションを重ねていくことで、

 

ハッピー(しあわせ)は

 

・なんてことない日常の中にある

 

・探すと、見つけることができる

 

っていう意識づけ、そして習慣づけることができます。

 

そして

 

「しあわせの定義は人それぞれだし、なんだっていいんだよ」と教えることができます。

 

 

 

最初は「(ハッピーなことなんて)今日はなかったよ」なんて言うかもしれないけど、

 

じぶんで探してみるよう促したらいいです。(※これがあなたのしあわせだ、って押し付けは禁止ね!)

 

ただ単純に忘れてるだけだったりもするし。

 

そんな時は「朝起きてから、何をしたっけ(園や学校では何をしたの)?」と質問して、その日の出来事を思い出してもらうといいかも。

( ´ ▽ ` )ノ

 

そして、

 

『ああ、いくつもハッピーがあったなあ〜』ってしあわせなきもちで眠りにつけるので

 

【今日の3ハッピー】、ほんとにおすすめです。

(๑′ᴗ‵๑)

もしもこの世に言葉がなければ

ぼくが「この世で最も重要な人のうちの一人」に対してじぶんの心のシャッターを完全に下ろしたのは、

 

その人のあらん限りの怒りを乗せた、たった3語の短い言葉によってだった。

 

その言葉には、いっしょにやさしさはかけらも乗っていなかった。

 

『たとえどんな関係であれ、人の尊厳を踏みにじる言葉を無遠慮に叩きつけることのできる人間に対して自らすすんで心を通わせる価値を見出すことはできない』、瞬時にそう思った。

 

(どうやらその裏には如何ともしがたい悲しみが隠れていたらしい、と知るのはそれからずいぶん後の話だ。)

 

 

 

言葉があるせいで、定義や解釈が生まれ、そして誤解が生まれる。

 

言葉にした時点で「それ」は対象の本質とイコールではなくなる。

 

より正しく形容しようと言葉を尽くせば尽くすほど、

 

伝えたいことから遠ざかっていくように感じられて、

 

まるで正しく伝えられないことに愕然とし、絶望する。

 

だったらいっそのこともう口を開くことをやめようか等とばかげたことを本気で考えるも、

 

そのままで生きることを、たいていの場合周囲の人間たちは許してはくれない。

 

膨張し続け掴みどころのない苦しさだけが確かに感じられる。

 

そんな、底にいる人を掬い上げてくれるのは、

 

理由を必要としない優しい眼差しであったり、

 

ただの手のぬくもりだったり、

 

重なった胸の鼓動だったりするのだけど、

 

その時の感情はまったくもって形容しがたいものであるのにも関わらず、

 

それでも形容したいと思ってしまうのだ。

 

「このきもちを味わうために生まれてきたのか」と思えるような

 

そのよろこび、そのすばらしさをじぶんではない誰かと共有するために。

 

それはひとつところ(じぶんの中だけ)には止めておけないものだ。

 

言葉を持たない動物は、生を喜び全身で踊る。

 

からだを道具にして。

 

人間が作った言葉は、道具。

 

不完全で拙い、ツール。

 

言ってしまえば、それ以上でもそれ以下でもない。

 

でも、だからこそ、

 

使う者の意識(使い方)次第で、その意味も力も大きく変わる。

 

言葉にいいように振り回されながらも

 

なんかわかんないかなぁって、

 

もう少ししがみついていたい、この手を離したくないと思って生きている。

 

 

 

P.S.

 

不可思議/wonderboyの『もしもこの世に言葉がなければ』という曲、ぜひ聴いてほしいです。