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レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、こどもと遊ぶことを通して彼らの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。

南の国から'17夏〜(これから始まる何かのプロローグ)

ご無沙汰しております。
ブログ「書く書く」詐欺すらしなくなったベジです。
こうして書くのも何度目かわかりませんが、更新を楽しみにしてくれてる方、ごめんなさい!
 
本当に久しぶりの更新ですが、
今、人生で2度目のタイに来ています。
理由はいくつかあるのですが、それらを説明するのには、昨年の10月頃まで遡らないといけません。
前回のタイ初訪問が12月で、まずその理由を説明するのにそこまで遡らないとなのです。
 
 
ーーーーー
 
 
その当時、自分を取り巻く環境に適応することに対する違和感を、それまで以上に強く感じていて、
 
「(適応するべく我慢をすることが)そろそろ限界なんじゃないか」
 
「次のステージ(?)に行くためにバンジー(ジャンプ)を飛ぶタイミングなのではないか」
 
というようなことをしきりに考えていました。
 
 
既知の人を含め、その時「会いたい!」と思った人に躊躇することなく会いに行っていた時期でした。
自分のやりたいこと、自分の存在を、知らせたいと思っていた。
また、僕が会いたい人は「自分軸」を持っている人ばかりで、背中を押してもらいたいというきもちもあった(が、それを正直に伝えてもいた)。
 
その中でも、とりわけ大きな存在だったのが「トランポリンを担いで、世界の笑顔をつなぐ旅」をする石原舞さんだ。
 
舞さんは現在、カンボジアプノンペンを拠点としていて、何ヶ月かに一度帰国し、自身の活動についてのトークイベント等を精力的にやっていて、
昨年10月の帰国時にもいくつかのイベントが開催されていた。
(ちなみにその前に帰国時もそうだったのだけど、)どうにもスケジュールが合わず、『今回も会えないのか…』と思っていた。
 
以前の僕なら「しかたがない」と諦めていたところだが、その時は違って、
『いや!会いたい!会って話がしたい!』と思い、本人に直接コンタクトをとって、(←文面わりとそのまんまの感じで)伝えた。
 
そうしたらなんと、忙しいスケジュールの間を縫って、時間を作ってもらえた!
彼女も好きだという新宿三丁目のブルックリンダイナーで待ち合わせすることになった。
 
 
そして約束の日、小雨降る中新宿へ。
 
いざ会ってみると、
(写真を見てわかっていたはずだけど、)イメージよりもずっと小柄で、
『この体にあんなエネルギーが凝縮されているのか!』と改めて驚いた。
 
「こども」と「笑顔」について、たくさん話をした。
それらについての価値観が思っていた通り、やっぱり似ていて(だからこそ直接会って「だよね!?」って確認したかったのだけど)、
『ありがてえ…!』と思った。
 
互いの活動についてのことを交えながら、想いを伝えあった。
 
その中で、舞さんが
「タイに居るとある少数民族の子へ、クリスマスの時期にサプライズでトランポリンをプレゼントしに行く計画」
について話してくれた。
(僕はそれを「勝手にサンタクロース」と勝手に呼んでいた)
 
それを聞いた時、何か、ピン!と来た。
 
 
『あ、それ…行きたい!!!』
 
 
と思い、それをそのまま口に出していた。
そして、
「こどもたちとは言葉が全く通じなくたって一緒に思いきり遊べるし、彼らを超絶笑顔にすることが僕にはきっとできるはず」
という想い/仮説があったのだけど、それを確認というか自分で証明しに行きたい、とも思った。
 
「でも…その時仕事休めるかな…?」と不安がよぎって「行けたら行く」ということを一度は言ったのだけど、
 
 
「いや、俺、行きたいと思った!思っちゃった。だから、行きたい!もしかしたらダメかもしれない、けど行きたいから、行けるようにする!!!」
 
 
というようなことを興奮気味に宣言して伝えたのを覚えている。
そしてその興奮を保ったまま、わくわくしながら家に帰った。
 
 
それで急に端折るけど色々あって(ホントに色々あって)、
「状況」がどんどん僕の背中を押してくれるようになって、手を引いてくれて。
 
余白に、奇跡が舞い込んだ。
年末のタイ行きの航空券を予約した。
 
 
さらなる奇跡の続きをどうしても書き記して伝えたいと思い、本っっ当に今さらだけど、
書いていきたいと思います。
 
 
続く

どこにでもあるような家族の風景

昨日もベジーシッターしてきて、とてもすてきな日になった。


夜帰宅しベッドに入って眠る前に『いつにも増してこんなあったかいきもちになったのはいったいなんでだろう?』と、一日を振り返って分析してみた。
したら、分析というほどのことでもなく、すぐにわかった。
 
ーーー
 
ぼくに託児のご依頼をいただく際の理由はなんだっていいんだけど、
親御さんのお仕事の都合で、ということが比較的多い。
そうするとたいていぼくとお子さんだけでお出かけしたり、もしくは家でお留守番をすることになるのだけど、
昨日は朝からお子さんとお母さんといっしょに、お母さんの実家におじゃましての託児になった。
 
それで、お母さんはパソコンを使ってのお仕事でとなりの部屋にいて。
その間ぼくとお子さんがリビングで遊んでて、おばあちゃんはキッチンでごはんの準備をしてくれてて。
みんなで昼ごはんを食べ、昼過ぎから公園へ出かけて遊びたおしているところへおばあちゃんとわんちゃんが散歩に来て、
いっしょに買いものに行って帰宅し、
おじいちゃんがお仕事から帰ってきてみんなで夕飯を食べて、また少し遊んでバイバイした。
 
出来事としての説明としてはそれだけなんだけど、じゃあいつもと何が違うって、
お子さんとぼくの周りに、近しい人たちが居たってこと。
 
そして、それが分析した結果であり答えで、
そこに居たみんなが「家族」で、それぞれが意識することなく自然と相手のことを想っていた、ということ。
4人と1匹(と1匹)が(「1匹」とのお別れというさみしい一場面を含めて)、メーターを振り切るようなアッパーなハッピーさでなく、ただおだやかに「家族」だった。
それを目の当たりにしたことと、その空間の中にいたこと。
 
そしてぼくは形としてはゲストだったんだけど、そのお子さんのことが大好きなことを皆とてもわかってくれていて、
「そこ」にとけ込んでいた、自然に「家族の一員」としてとけこませてもらっていたな、と。
それがとりわけここちよく、あったかかったんだ、と思った。
 
血が繋がっていてもいなくても、種(しゅ)が違っても家族になれる、家族でいられる。
 
友だちのようでいて、他人のように遠いこともある。
二度と触れることも、会うこともできなくなることもある。
 
それでもこの先、相手のことを思い出すたび、きもちはいっしょに居るのだと信じていられる安心感を、感じた。
 
そして、
これが思い悩む「ヒト」といういきものにとって希望でないとしたらなんだろうか、と思った。
 
ふだんぼくには祈るという習慣はないけど、これがずっと続きますようにと、祈りたくなった日だった。
 
 
おしまい(でも、つづく)。

「風前の灯火」よりも、「風船の灯火」になろう。

わかり始めたmy revolution

 

昨年10月頃から、自分を取り巻く環境が変わりだした。
自分が以前よりも「動き出した」ことが大きいように思う。
また、それは自分をよりオープンにして人に会い、
想いを伝えていったことと無関係ではないように思う。

 

何をしたっていい、どうなったっていい、と知っているはずなのに、
人一倍心配性で不安に支配されやすい自分を、
「正解」や「効率」を気にしすぎるあまり、
考え込んで動けないでいる時がしばしばある。

 

やりたいことを「やっていない」時、その足元は沼のようになっていると思う。
熟考と言えば聞こえはいいが、沼に足をとられて歩みを進めることができなくなる。
時間が経てば経つほど、深みにはまっていく。

 

たぶん、というか間違いなく、ぼくは怖がりなのだ。

ほんのささいなことにいちいちビビりまくり。

立ち止まったそこから、一歩、踏み出す勇気をだすことを、いつからかずうっとやってこなかった。(まあ、よくある話だ。)

 

「こうあるべき」、「こうなってほしい」という親心/親切心、あるいは期待という名のプレッシャーに反抗し、
「死なないために、ただ生きることの何がいけないの」と最低限の収入を確保し、ただ生きていました。
丁寧に。
しかし、漫然と。

 

ある時点で、「ただ生きる」ことに、飽きてきた。
放課後等デイに携わり、いろんな年齢の、様々な個性を持ったこどもたちと触れ合えるのは楽しい日々ではあった。
でも、もっと自分を楽しませてやろうと思った。
「何をしている時がいちばん幸せだろう?」
自分に問うてみた結果、出てきた答えは
「こどもに制約を課すことなく、やりたいようにやらせてあげて、いっしょに思いきり遊んで、笑いころげている時」だった。

 

ブログを作り、「こどもと一日遊ぶサーヴィス」をはじめた。

 

同時に、臆病風がどこからともなく吹きつけてくる。

 

『無償でこんなことをして、あやしいことこの上ない。後ろ指を指されたりしないだろうか』

 

そんなことはなかった。
あったのかもしれないが、自分がそれを見つけようとしない限りは、
それは「無い」のと同じだ。

 

SNSのアカウントをさらして、面倒なことにならないだろうか?』

 

ならなかった。
むしろ入口が増えて、直接連絡をくれる人が増えた。

 

『ものすごく個人的な、情けない気持ちを、綺麗事を、かっこうわるい現状をさらけ出して、見放されたりはしないだろうか?誤解されたりしないだろうか?』

 

しなかった。
こんな更新頻度の低い貧弱ブログに綴られた言葉に、
「共感した」、「勇気づけられた」、「すくわれた」(!)とまで言ってくれる人たちが現れた。

 

なんてことだろう。
なんてすてきな話だろう。

 

ガクガク震える体に、「おいッ、しっかりしろよォッ!」と拳を胸に叩きつけ、
「一歩」踏み出したら、世界の方が勝手に、ほんの少し変わっていった。
いい方に。やさしい方に。

 

世界は、人は、やさしかった。

 


「自分を生きる」人たち

 

ぼくがやってきたのは、シンプルに自分がいちばん好きなことだ。

「こどもと思いきり遊んで、笑顔で親御さんに返す。」

いちばん好きで、命をかけられることを楽しんでやる、
そのためにいちばん必要なのは、「一歩」を踏み出すこと、
その勇気を出すことなのではないだろうか。

 

そして、ぼくが尊敬する今ぼくの周りにいて「自分を生きている人」たちも、
たぶんそうなのではないだろうか。

 

「とにかくやばいことをやる」いばやの人たち。

もはや説明不要の感すらある、
新潟生まれの不死鳥、ひたすら「自分」を生き続け、平成の吟遊詩人とも称される孤高のヴァガボンド(しかし彼の周りには笑顔の人が集まる)、いばや通信の坂爪圭吾さん。

 

“stay hungry, stay foolish”を地で行き(生き)続ける、神出鬼没のハートフルDA天使・PE天使コンビ、team-0の嘉向徹さん、保科亮太さん。

 

ハッピーとスマイルの権化、極彩色のメルヘンチックイラストレーター、MAYU CHAPAWONICAこと山倉麻由美さん。

 

ほんとはあまり人に教えたくない片瀬江ノ島にあるここだけ外界とは違う時間が流れる「幻」の古民家素敵カフェ、喫茶ラムピリカの千秋さん。

 

そしていばやの人たち以外にも、
「移動型座敷わらし生活」で全国行脚するその存在が「癒しの女神」、ボディセラピストでありイラストレーター、ハラフワティの村元里弥さん。

 

MAYUさんとコンビを組んでいる、その人その人のいちばん素敵な笑顔を引き出す天才で、旅するフォトグラファー、豊住千明さん。

 

算命学と臨床心理学を携え、人の人生に光と愛を見せる輝きの伝道師、秋田由里さん。

 

常識とそれに囚われた心を完膚なきまでに叩きのめし自由へと解き放つ愛のクリエイター、藤井みのりさん。

 

そのパートナーで、計り知れない妄想力を具現化し世界を騙す、やさしい天才詐欺師でユニークすぎるアーティストのカヤノヒデアキさん。

 

「インド人にしか見えない純日本人」などという説明がもはや不要の、ジェットコースターのような人生を送るマルチタレントブロガー、カルロスこと小林勝宗さん。

 

軽いノリで飄々と国境を飛び越え、適当なことをいいながらも誰一人傷つけず自分がいちばん楽しんでいる、現在はヨーロッパ周遊中のマルチリンガルブロガー、大胡田真隆さん。

 

ロンドンへの憧れを胸に、ツテもお金も語学力もない状態で単身渡英、逆境を楽しみながら突破し、美(とBeer)を愛するヘアメイクアップアーティスト、宮西亜季さん。

 

50円で自分の時間を出張レンタルしながら夢を追いかけ、人に問いかける若き哲学者(ときどき魔女っ子)。愛の爆弾、あいぼんこと平岡愛さん。

 

「トランポリンを担いで歩き、世界を笑顔でつなぐ旅」をする、誰よりも笑顔の持つ力とすばらしさを知る、空跳ぶ小さなパワフルガール、石原舞さん。

 

(ほんとは他にも紹介したい人がたくさんいるけど 、書ききれないのでまた(´;ω;`) )

 

それぞれが圧倒的な魅力とユニークさ、ぶっとんだ思考を持ち、しなやかに、しかし力強く生きる彼らは、非常識であったり破天荒なイメージを持たれるかもしれない。
しかし実際は、むしろものすごく「常識人」だったりする。皆人当たりがよくユーモアがあり、人となりはごくごく「フツー」の人だ。
ただ、「常識」を持ちながらも、それにとらわれずにいる人たちだ。
自分がたいせつにしていることにどこまでも真摯で、それを実現するために、実現し続けていくために、何度も何度も「一歩」を踏み出す勇気を出して、乗り越えてきたんだと思う。

 

(ぼくはぼくでしかないから、彼らのようになりたい、とは思わないけど、)

ぼくも、「そっち側」へ行きたい。

 


ぼくはアンパンマンになりたい

 

ぼくには夢というか野望があって、
誰に対しても分け隔てなく愛し守る、誰しもが知っているアンパンマン(のような人)になりたい。

 

そんなぼくに必要なのは、勇気だ。
愛は、もう持ってる。
こどもたちへの掛け値なしの愛情を、持ってる。
どんな子とも仲良くなれる「大好き!」を持ってる。


感じやすすぎて、何十年もあほみたく、小さなこどものように傷ついてきたからこそ、
どんな子の気持ちもわかる。共感できる。

もちろん、他人の気持ちなど本当の意味でわかりはしない。想像でしかない。でも想像は「できる」。ぼくは「あなた」の気持ちを想像したいと思う。

「あなた」にはなれない。だからこそ、あなたに寄り添える。いっしょに泣き、いっしょに笑いたい。
そんな気持ちを、持ってる。

 

ぼくに足りないのは、
その時、その都度、自分の本当の気持ちを素直に、世界に向かって放つための、
あとほんのひとかけらの勇気だけなのだと思う。

 

そして、その勇気も、必ずしも自分の中からしぼり出さなくてもいいことがわかった。

なぜなら、勇気は「もらえる」から。


勇気を出して、一歩踏み出してみたら、
自分の「大好き!」を放ってみたら、
なんのことはない、「だいじょうぶ」だったし、
そして、でっかい「ありがとう!」やウキウキする「またね!」をもらえて、
それらは等価交換の法則を完全に無視していて、
気づいたら使った以上の勇気へと姿を変え、ぼくのからだにチャージされていたのだった。

 

勇気を出したら、結果、それ以上の勇気をもらえた。

 

時折それを忘れてしまうけど、思い出すのだ、もう充分に「持っていた」ことを。

 

だから、なんのことはない、
ぼくはもう全部持っているのだ、必要なものは。

 

ならば、
持ったままただ生き永らえるか。
それとも、出しきって死ぬか。

ぼくは後者を選びたいと思う。

 


ノブレス・オブリージュ。今後も救世主たらんことを。」

 

人間の本質は、愛だと思う。
誰もが、愛を持っている。

そして、愛を欲している。

 

生まれた時、赤ちゃんは善悪の価値観など持ち合わせていない。
泣き叫ぶのは、母や父を困らせたいわけではない。
ただ、愛を乞うているだけ。
愛されないと、たちまちのうちに死んでしまうから。

 

今、赤ん坊から成長したぼくやあなたはどうだろうか?
愛されなくても生きてはいけるだろう。ただ生きるという意味においては。
でも、「いきいきと」生きていけるだろうか…?

 

人はひとりでは生きていけないのだと思う。

 

麦わら帽子をかぶったある少年の言葉を借りると、

少なくともぼくは、人に助けてもらわないと生きていけない自信がある。

 

誰かを圧倒するような力も持っていない。
お金をたくさん稼ぐ術も持っていない。
多少料理は作れるけど、ウソもうまくつけない。

 

いわゆるいっぱしの社会人としての器じゃない。
そんなぼくに一体何ができるかといったら、

 

「こどもを、笑わせられる」。

 

そして、最近あらためてよくわかったけど、
「(育児経験がないにもかかわらず)お母さんたちからの子育ての悩み相談に乗って解決すること」。

 

「親御さん(特にお母さん)の、素直にこどもを愛したいという気持ちを自然に思い出させてあげられる」。

 

それらを指して、
「魔法みたい!」、「子育てをするママたちの救世主!」などとしばしば言ってもらえるようになった。

べらぼうに褒められて、もちろんすごくうれしいのだけど、
自分の中では、ごく当たり前のことをしているだけで、すごいことをしているという感覚はなかった。

でも、どうやら、すごいらしいのだ。
特別なものを「持っている」らしいのだ。

 

ここまで自分アゲをしておいてなんですが、
「どうだ、すごいだろう!」と言いたいわけではありません。
今の心境をなるだけ正確かつ簡潔に言葉にすると、

「どうやらすごいらしいので、どうか、ぼくを使ってやっていただけないだろうか?」という感じです。

 

ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。

フランス語で、意訳すると「持てる者の義務」という意味。
既に「持って」いる者には、自らが属する世界に対して果たさなければならない責任が伴う、という考え方のことだ。

 

世界を今よりもよくすることができる「力」を持っているのに、
それをしないのは世界の損失なのだと思う、というようなことを以前にも書いた。
ぼくや特定の誰かに限った話ではなく、誰でもがそうなのだと思っている。

 


「風前の灯火」から、「風船の灯火」へ。

 

人のやさしさや、まごころが「灯火」だとして、
ぼくのそれは、誰かのため息ですら消えてしまいそうな、弱々しい「風前の灯火」でした。
それがいまや、誰かの消えかかる火を蘇らせる、強くすることができるということを、知りました。

 

こどもの笑顔を咲かせるためなら、風に乗ってどこへでも、海の向こうへも行ける風船のようなフットワークはそのままに、たくさんのこどもたちや「あなた」のハートに火をつけ回る「風船の灯火」になりたいと思いました。

そしておそらく、それが現時点で最も効果的な自分の活かし(生かし)方だと思う。

ただ、
残念なことに風船は、自由ではあるものの自身の機動力というものがほとんどなく…。

 

だから、頼らせてください。
ぼくをすでに見つけてくれている人は、
また手を伸ばしてぼくをつかまえてください。

そして、お役に立てたなら(ていうか、立つ)、今度はぼくを必要としている人たちのところへ辿り着けるように、
「うちわ」くらいで構いません、扇いで風を起こしてもらえないでしょうか。

 

わりと文字通りのサンデーピープルになった今、
「自分で自分の風に乗って」いくことももちろんできるんだけど、
より遠くまで行きたいので、「あなた」の力を借りたいです。

自分で立ちながら、「人の間」で生きていきたいです。

 

世界一の何かになりたいとはあまり思いません。

 

ただ、
みんながいないと生きていけないけど、
みんなに助けられながら、みんなを助け、勇気づけられる、

そんな身近なヒーローになら、ものすごくなりたいと、強く思っています。

 

「だいじょばない」こと、なくし隊

こないだ、所属していた放課後等デイサービスにお菓子を買ってあらためて挨拶に行ってきた。
あらためて挨拶といっても結局

「おつかれさまでーす、あ、お菓子買ってきたよー( ´ ▽ ` )ノ」

みたいな感じで、
自分が勤務していないというだけで、気持ちのつながりという点では以前からの延長線上にいるような気がした。
まあそんなに時間が経っていないというのももちろんあるのだろうけど。
でもそういう気持ちでいることで、実際そうなっていくものなんだろう。

 

前回の記事で書いたメッセージボードのことを、
『こどもたち、遊んでくれてるかなー』と気になっていたので聞いてみたら、
「みんな遊んでるよー!( ´ ▽ ` )ノ」とのこと。

 


よかったあ(๑′ᴗ‵๑)

 


そして探したら窓際のテーブルの上に無造作に置いてあった。

 


これも、よかったあ(๑′ᴗ‵๑)

 


どこに飾る/置くとか、どう扱うかは特にお願いしなかったんだけど、

どっか壁にでも掲示したまんまで固定されてるより、ずっといい。
車椅子の子もいるし、あちこち持ってって遊んでもらえてるのなら本望。

 

あれはこどもたちみんなに宛てた「手紙」であり、
既にぼくの手から離れたから、もう「彼ら」のものだ。

 

気になっていたことはもうひとつあって、
『どっか壊れてないかなあ?』と見てみると、
さっそく「だいじょうぶ」の「い」の横んとこがペラペラしていた。笑

 

 

f:id:akatsuki_jp:20161027224946j:image

おわかりいただけるだろうか
(「い」の横が剥がれて浮いてる)

 


さっそくスティック糊とテープを借りて、ちょきぺたして直させてもらった。
(正確にいうとハサミは使ってないから「ちょき」はしてないけど、「ちょきぺた」という響きが好きなのです笑)

さあ こどもたち!もっとハードに遊んでもいいぞ!笑

 


「またこわれたら、直しにくるから気軽に呼んでね〜( ´ ▽ ` )ノ」
とア○リカンホームダイレクト風の電話のジェスチャーをした。
(ちなみにアサノサンホームダイレクトと呼ばれています。ごめんなさい嘘です自分で言ってるだけです。)

 

 


さて、
ここからトーンを変えて、このメッセージボードに関係して最近思うことを。

 

こどもたちに『だいじょうぶ』をメッセージとして送った(贈った)のは、
伝えたいことだったし、ぼく自身が言われたいことばだったからなんだけど、

それは裏を返すと、
今、世界、少なくとも日本という国には「あなたはだいじょうぶじゃない」というメッセージが溢れているから。

そのメッセージが、(おまじないでなく)呪文が、気が遠くなるほど繰り返されすぎて、

「誰も彼も、決してだいじょうぶなんかではない」

という空気が立ちこめているから。

 

個人的には、『風の谷のナウシカ』の劇中の「瘴気」のイメージに近い。
ほんとうに多くのぼくら大人たちが「それ」に侵されてしまっている。


不安や危険、困難があるのはしかたがない。

 

生活範囲の中で起こる、背筋が凍るような怖い事件。
来る日も来る日も、抗いがたい不条理がまかり通っている。
肉眼で確認できないが確実に忍び寄ってくる危険。

 

そうして、カーテンが閉じていくようにゆっくりとその明るさを失っていく未来。
目を背けたくなるようなひどい現実が、目の前にどっしりと横たわっている。
(それらのうち多くのものが「造られた」ものだったりするんだけど、ここでは割愛します。)

 

「心配ごとは決して尽きることはない。」
「怖れろ、怖れたままでい続けろ。」
「他人はお前を傷つける。決して信じるな、疑え。」
「出る杭は打たれるぞ。」
「痛い目を見たくなければ、目立たないようにすることだ。」
「どこへ逃げても同じだ、今いるそこにいればいいんだ。」
「死にたくなければそこから出ようとするな、そのままじっとしていろ。」

「この凄惨な現実を、世界を見ろ。それに比べてお前など、とるにたらないちっぽけな存在なんだ。分をわきまえろ。」

 

まるで希望のない、「圧力」のようにぼくは感じる。


意地悪なんてもんじゃない。
「悪」でしょう。それは。
(もちろん正義/悪という二項対立の「悪」ではなく)

だって、
たとえ「こうしたほうがいいよ」っていうアドヴァイスの形であっても、
それはぼくらに対する思いやりなんかでは決してないもの。
信じてくれていないもの。
陥れようとしているもの。


経済とか、歴史とか、それに連なる現在の国際関係とか、複雑に絡み合っていること。
知ってはいるけど、ぼくには正直わかりません。

 

でも、それらを解決する、
完全な解決に至らなくとも、解きほぐす方に、今より皆が笑える方に持ってくために必要なことがどんなものなのか。

「それ」が、ほんとうはとてもシンプルなんだってことはわかってる。

みんな、信じたいのは「そっち」なはずなんだ。

 

それでね、
放課後等デイサービスに限らず、学校や保育園/幼稚園等、保育や教育の「場」にいる人たちが、
「周囲に、危険に満ちた世界に脅かされること」に対しての危機感だけでなく、
「このままでいること、それによって続いていく未来」に対しての危機感を持つべきだと思う。
いや、本当は、ぼくら大人全員が、なんだけどね。

 

ぼくらを産んでくれた、育ててくれたこと、これを恩とするなら父母たちには、

この恩はきっと「返しきれない」。

だから次の世代に「送っていく」ことしかできないし、それが理にかなっていることなのだと思う。

 

無垢な状態で生まれてきたこども(かつてのぼくら自身)がこの先もずっと笑っていられるように。
それが、望むと望まざるとに関わらず、「大人になってしまった」ぼくらの責任だろう。

 

だからぼくは、
「だいじょばない」を、なくしたい。
「だいじょうぶ!」に変えていきたい。

 

たぶんそっちのが、みんな、いいと思うんだよなあ。

 

前回の記事でこの辺、言い足りてなかったので、続きのつもりで書きました。

青臭いことわーわー書き連ねましたが、

ぼくはこの先も「根っこ」の話をしていきたいです。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!

「あなたは、だいじょうぶ。」 ~あなたに捧ぐ、ぼくの大マジなおまじない

先日「卒業」した放課後等デイサービスの最終出勤日の帰りの会

少し時間をとっていただき、こども達に挨拶をさせてもらったのだけど、

当日利用でない子たちには直接挨拶ができないままになってしまった。

 

何度か顔を出してこどもたち全員に挨拶させてほしい旨を社長に伝えたのだけど、

「学校の先生だって最終出勤日の一回だけだよ?」とのことで残念ながら却下されてしまった。

 

じゃあ、個別に手紙は?と食い下がるも「それもおかしい。」とのことで、

最終的に「みんなに宛てた手紙を事業所室内の壁に掲示するとかだったらOK」ということになった。


最終出勤日のみんなへの挨拶では、

言いたいことがたくさんあったはずだったけど、

ちょっと胸がいっぱいになってしまって、

後になってから『ああ、あれ言いたかったなあ』ということも出てきて。

 

『じゃあ今度こそ余すことなく全部書き連ねて伝えよう!』とも思ったけど、

それやると多分ネバーエンディングストーリーになりそうだし、

そもそもだけど、文字が読めない子もいる。

それでも気持ちは伝えたいし、

「しょうがない」とあきらめたくなくて。

『どうしたらいいかなあ』って、考えた。

 

そして、

ポスターみたいな感じで、絵をつかった「メッセージボード」を作ることにした。

その際、いくつか決めていたことがあった。

 

・ぼくの似顔絵を描いて、パッと見てぼくからのメッセージであるとわかること。

 

・メッセージはシンプルに「ひとこと」。

(ただし、そこに「その言葉」以外の「想い」も乗っけたい。)

 

・文字が読めない子でもイメージで受け取ってもらえるよう、絵を描く。

 

・メッセージボードに細工を施しこどもたちが「遊べる」ようにすること。

 

こんなところ。

 

 

さて、一番重要な「ひとこと」は、なんにしようかと考えた。

 

 


「みんなありがとう」?

→実際思ってるし、最終出勤日の挨拶でもそう伝えた。けど、そこから続いていく「広がり」がほしい。

 

 

「みんなだいすき」?

→これも同じく伝えたけど、一番伝えたい、教えたい、心に残っていてほしいだいじなことかと言うと、はてな?マーク。



「さよなら、またね」?

→わかりやすい挨拶ではあるけど、ぼくの伝えたい「想い」ではない。

 


で。

 


実は少し前から口にしていた、すごくしっくりくるキーワードが既にあって。

僕は(こどもたちを含む)目の前の好きな人達に伝えたいことがいくつもあるけど、
それらは突きつめていくと、ひとことになる。

記事タイトルの

 

 

「あなたは、だいじょうぶ。」

 

 

という、ひとこと。

 

 

なにか問題をかかえても、壁にぶちあたっても、

つらくても、苦しくても、悲しくても…

あなたがあなたを認める、許す、信じるだけでよくて、

どうしたって、どうなったって、だいじょうぶなのだということ。

 

 

そしてこれは自分自身へのメッセージでもある。

ぼくが一番言われたい「安心する」、「安定する」ことば。

 

自分がつかみとった「ほんとうのこと」を、「こたえ」を。

この安心感を、共有したい。

 

そう思って、ここ最近はことあるごとに人に「だいじょうぶだよ」って伝えていた。

 

この時も(心の中でだったけど)そう。

recrea.hatenablog.com

 


それで、

『やっぱこれだなあ』って思って、決めた。

 

そして、

そこへ人に、こどもたちに伝えたい、いろんな想いを乗っけていった。

 


人はみんな、

つまり「あなた」は…

 

 

「ダイヤモンド」のように美しく、貴重な存在だということ。

 


損得感情なく他人に差し出せる「やさしい」心、そして
何をしたっていいし、どこへでも行ける「自由」を持っている。

 


ひとりひとりが違うけれども、

皆同じように喜び笑い、傷つき悲しむという点で変わりはない、他の人と「いっしょ」だということ。

つらい時があっても決してひとりきりじゃない、助けてくれて、「いっしょ」にいてくれる人がいるということ。

 


この広い「宇宙」(=全)のほんの一部(=個)でありながら、

宇宙と同様に無限の広がり/可能性を持っているということ。

 


そして、

あなたのまなざしやことば、一挙手一投足に、

生きているそのぬくもりに他者と関わる意味があるのだということ、

あなたの存在が「愛」そのものなのだということ。

 

「だから、『だいじょうぶ』なんだよ。」ということ。

 

 

想いを「キーワード」と、それを表す「イラスト/ピクトグラム」に込めていった。


そしてそれらを「遊べる」ようにするために試行錯誤。

 

結果、大きさをB4サイズに決め、

厚みのある画用紙を使って部分的に切り欠き、

手で「しかけ」を動かせるようにした。

 

 

f:id:akatsuki_jp:20161009233055j:image

メッセージボードを裏から見た状態

(糸は、可動部の脱落防止のため。まあ、すぐひきちぎられると思うけど笑)

 

f:id:akatsuki_jp:20161009233115j:image

しかけ部分アップ 

(スムーズに横スライドするようボール紙を細く切りレールにした)

 

 

そして完成(ほぼ)したのがこちら。

 

 

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「あなたは、…!」 

 

各段のイラスト部分を横にひっぱると…

 

 

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「あなたは、だいじょうぶ!」

 

 

デザインとか仕上げはつたなくて正直、胸を張って見せられるようなレベルじゃないけど、

そこはあんまり重要じゃない。

 

これは芸術作品ではなくて、「手紙」だから。

届くか、伝わるか、どうかだ。

そして手紙に必要なのは、「気持ち」だ。

 

「気持ち」は、しっかり込めた。そこだけはめちゃめちゃ胸を張れる。

 

だからきっと、だいじょうぶ。

きっと、届くはず。伝わるはず。

 

だいじょうぶ!(๑′ᴗ‵๑)

What a Wonderful World. 〜 子の「支配」からの、卒業

いくつか勤め先や運営会社が変わったりしながらも、

足かけ5年以上続けていた放課後等デイサービスを辞めました。

別のとこに移るとかいうことはなく、完全に「卒業」です。
 
 
理由はいくつかあるけど、
主な理由は、
ぼく自身がやりたい方向とのベクトルが違うことに違和感を感じていたことと、
放課後等デイサービスの運営においては「業種」としての限界があると感じたこと。
 
 
それらはずっと前から感じていたことだったけど、
なんとなく、続けてしまっていた。
 
そこへ行けば、こどもたちの笑顔に囲まれて、
そして自分でそれをもっと「咲かせる」ことができて。
それはもう楽しかった。
 
それで、わりとバカばっか言っては、やってきたけど、
(大人なのに、『ふざけないで!真面目にやって!』等と叱られていたのはスタッフの中でぼくだけだろう)
こどもと向き合うということにおいて手を抜いたことは一度としてないし、
自分が思う「子育て」、そして「支援」を本気でやってきたつもりだ。
 
 
でもそれをずっと続けていくのは、
放課後等デイサービスという括りの中ではもう限界だな、と思った。
(決して、放課後等デイを否定したいわけではありません。方向性が違うだけ。
 ちなみに利用者=こどもに対してスタッフがマンツーでつけるんだったら話は違ってくるんだけど、
 これは様々な理由から現実的ではありません。) 
 
 
こどもたちが
「社会に出て生きていけるように」、
「他人とうまくやれるように」、
「できることをひとつでも増やしてあげたい」。
 
 
放課後等デイサービスには、
(こどもたちを食い物にしてるだけの会社も今は増えてしまったけど、)
そんな想いを持って、真剣に子どもたちと接する人たちが働いています。
少なくともぼくが関わらせてもらった勤め先ではどこもそうでした。
 
ぼくも同じように願ってる。
 
ただ、ぼくは
放課後等デイサービスだけでなく、学校教育全般、ひいては社会に対して疑問を感じていて。
 
 
オトナのみなさん、
「社会」ってものが「(変容していくものだとしても)常に正しく、揺るがないもの」という前提で考えてやしない?
 
 
その今の「社会」、そして「教育」は、
こどもを今ある社会に「適応させよう」と彼らに強いているように思えてならない。
や、それは至極当たり前のことではあるんだけど。
 
でもね、
それは、「支配」だし、「コントロール」だし、
こどもたちへの侮りじゃないのかな?って思う。
 
彼らの力を、根源的な生命力をなめてんじゃない?って。
 
 
ぼくは、
こどもは可能性の権化だと思っている。
今の、特に日本の社会は、
こどもたちがその可能性を狭める方へ、自分で蓋をする方へと、追いやっているように思えてならない。
 
でも、そっちでなくてね。
 
 
「生きるって、楽しい!!」
 
 
極論すれば、
こどもたちがそう思える、強く信じることさえできるようになれば、
「そこ」まで一緒に歩いていくことができれば、
その先はもう大人が手を離したとしても「だいじょうぶ」なんだと思っている。
 
もちろん、苦痛や、困難や、理不尽なことが起こらないなんて言わないし、言えない。
 
でも、そんなのを全部ひっくるめて「だいじょうぶ」なんだと思っている。
 
 
さて、そんで、
この先、ぼくはぼくの「子育て」をどうしよっかなあ?って考えて。
 
現状でも、
週末メインで平均して月に1〜2回以上は託児だったり、
「こどもと遊んでもらえますか?」ってご依頼をいただいているのだけど、
もっと増やしたい。
 
『あ、たとえば保育士の資格なんかがあればぼくを知らない人でもぼくのことを信用してもらいやすくなるのかなあ』と思い、
それまで保育士資格は今からじゃ取れないものなんだと思ってたけど
気になってとりあえず調べてみたら、
 
放課後等デイサービス(旧:児童デイサービス)での勤務が「児童福祉施設において児童の保護に従事」として、
保育士の受験資格としてみなされるというのを
 
辞めた後に知ったんですね。笑
 
 
そんで、ざっと計算したんだけど、
その基準(総時間数)にちと足りない。笑
 
よし、じゃあ放課後等デイでなくても、対象となる児童福祉施設
その足りない期間分だけ働いて、それで保育士資格を取ろうかな…
 
 
と一瞬思ったんですが、やめました。
 
 
だって、遠回りだ!!笑
 
 
受験資格を得られても、試験に合格しないとだから当然その勉強もせんといかん。
 
 
その時間を、ぼくはこどもと触れ合うことに使いたい!
そしてぼくという人間をよく知ってもらうために発信していくことに使いたい! 
 
 
それにね、
ちょっと世間に、言ってやりたい。
 
フツーに、ジョーシキテキに考えたらこういう場合資格とるんだろうけどさ、
 
勉強に勉強を重ねて保育士だったり教職だったり資格持ってるパーフェクトでグレートな「先生」たちよりも、
 
何の資格も持ってない、日々「ただこどもと遊びたいだけです」とかほざいてるオッサンの俺の方が日本全国のこどもたちを超絶笑顔にして、彼らから絶大な人気を得たら。
(※こどもについて勉強することを否定する意図はないので誤解されませんように。ていうかぼくも勉強はするし。自然に、する。)
 
 
ひらたく言うと、
 
 
「俺の方がヤバかったら、どうする?」
 
 
って。
 
 
バカですか?
アホですか?
 
そうですか。
そうですね。
 
ていうかアホじゃなかったら、最初からこんな「こどもと一日遊ぶサーヴィス」とかせんと思う。笑 
 
でもぼくは自分で言うのもなんだけど、
 
愛すべきバカでありアホですよ!( •̀ㅂ•́)و
 
 
 
そんで、
保育士のセンは消え、これまで何度も言ってきたとおり、ぼくは「こどもと遊びたい、笑わせたい」わけですが。
 
放課後等デイを辞めてしまったということは、
「日常的」にこどもたちと触れ合える機会が、基本なくなったということ。
 
公園に行ってこどもたちに声をかけてまわったりしたら、
こどもたちとは絶対楽しく遊べる自信があるけど、
それを見た周囲のオトナたちの通報によって確実に事案になりますよね。
それは、避けたい。笑
 
 
でね。
あともうひとつ言わせていただきたい。
 
 
ぼくがこどもと遊ぶ、笑わせる(そしてそれを通してこどもを育てていく)機会を逸したままでいることは、
それはもう、大袈裟でもなんでもなくて、世界の損失だと思う。
 
…って、
これはぼくに限った話ではなく、誰だってそう。
今このブログを読んでくれているあなたも、ぼくやあなたの知らないどこかの誰かも。
 
自分の好きなこと、自分を満たすものが「これ」とはっきりわかっていて、
そしてそれを実現できるだけの力を持っているのなら。
 
「それ」をして自分以外に喜ぶ人がいるのなら、
単純に考えてハッピーだって感じる人が多い方がいいじゃん。
 
この丸い地球の中では、人(そして動物)の価値観や利害が対立するのが当たり前。
 
それでも、
自分と、同時に自分以外の誰かが幸せになることを願う(呼び方は愛でも、良心でも、まごころでもなんでもいい。)その想いをね、
自分の中から放たない、放とうとしないのは、大袈裟でもなんでもなく、世界の損失だと思う。 
 
 
版画家の名嘉睦稔(なか ぼくねん)さんが、
出演された映画『地球交響曲ガイアシンフォニー)』の中で素敵すぎることを言っていて、
ぼくはこの言葉が、考え方が大好きだ。 
 
 
「世界中の子どもたちがたっぷり幸せを獲得しても、この世の幸せは少しも減りません。」
 
 
 
 
ぼくなら、
彼らが「自分の力で」幸せを獲得するためのお手伝いができる。
だから、やる。
 
 
 
この先の展開がどうなっちゃうのか正直全っ然わからんけど、
それでもこの気持ちはきっと変わらないと思います。
 
やれることを、やっていきます。
 
そして、遊ぼう!!!
 
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かはたれ?(わたしの、かたわれ。)

今回書くのは悲しかった話で、

楽しい話ではないし、

いつも以上に乱文で、

基本的に吐き出したいだけで、

八つ当たりみたいなものなので、

気にされる方はこの先は読まないでください。

 

 

 

---

 

 

 

先日、楽しみにしていた【秘境祭】という友人が主催する音楽フェスティバルに行ってきたときの話。

 

hikyousai.jp

 

場所は奥多摩の先の、山梨県は玉川キャンプ村。

大自然に囲まれたロケーションで、まさに「秘境」といえる趣き。

 

記憶が確かなら、3年ぶりの参加。

 

今回は、先日の記事で触れたNETWORKSも出演するし、

これは夜の自然の中でぜひとも観たい!と。

 

フェス自体は昼からやっていたのでけど、

ぼくは日中の予定があって、夜から参加することに。

NETWORKSの出番に間に合うように行こうとすると、

電車で最寄りの奥多摩駅まで行けても会場までのバスがないので、バイクで行くことにした。

 

iPhoneをナビにして、家から2時間弱。

途中雨も降ったけど、ほとんど濡れず。

出発時にはギリギリだった到着予定時刻も、

順調に進み、結果NETWORKSの出番まで余裕を持って到着できそう。

会場まであと、約700m。

 

 

そこに、いた。

 

 

道の真ん中に。

 

 

「動かないもの」が、いた。

 

 

子猫だった。 

 

 

それが何なのかを瞬時に理解し、息が喉の奥で詰まった。

 

その瞬間、脳内では言葉にはなっていなかったけど、

言葉にすると、

 

『ああ!!!また…!!!』

 

と思った。

 

 

「また」。

 

 

ーーそれは、ぼくがベジタリアンになったきっかけだった。

9年前に当時の仕事の夜勤明けで帰宅すると、

自宅マンションの前で猫が轢かれて道端に放置されてたことがあって、

植え込みに移しタオルにくるんでシーツをかけひとりで葬式をしたこと。

(忘れ去ってしまいたかったから?)今となってはなぜか記憶があいまいなのだけど、トリガーとしての出来事はたぶん、それだ。ーー

 

 

避けて、横を通り過ぎた。

 

こみ上げてくる何かとともに、恐る恐る、震えた息を吐き出した。

情けない声が一緒に漏れ出した。

 

 

自分に言い聞かせた。

 

『泣くな。』

 

『こらえろ。』

 

『もう動かない。』

 

『「助かり」はしない。』

 

『行ってどうする、意味がない。』

 

 

アクセルを緩めず、そのまま会場まで行こうとした。

 

でも、できなかった。

 

ウィンカーを出し、路肩に停車した。

 

 

もう、だめだった。

 

頭の中はぐちゃぐちゃで、

涙が溢れてきて止まらなかった。

 

 

あと少しだったのに。

いっそ、気づかなければよかった。

 

そう思った。

 

 

なんでだよ。

 

なんで、ここで?

 

なんで、今なんだよ。

 

今から楽しみにしてたフェスなんだよ。

 

それなのに、なんで?

 

なんで?なんで??なんで???

  

なんで、また?

 

なんで、俺?

 

なんで、あの子…?

 

 

偶然だ。たまたまだ。

 

関係がない。
関係などあるわけがない。

 

 

でも。

 

 

後からの車があの子をまた轢くかもしれない。

避けられても、事故につながるかもしれない。

 

周りを見渡しても手伝ってくれる人は誰もいない。

俺しか、いない。

 

俺が行かないと。

気づいた俺が行かないと。

フェスに参加するかどうかはともかくとして、俺が行かないといけない。

 

そう思った。

 

それにあの子を放っておいたままにして、頭の中から追い出して、
フェスを思い切り楽しむなんて絶対にできないことは、はっきりとわかっていた。

 

 

戻ろう、と決めた。 

 

決めたけど、怖くてしかたがなかった。 

 

泣きながら戻った。

 

『いやだ、行きたくない…行きたくない…』

『でも行くんだ…行くんだ…』

 

 頭の中で二人の自分が煩かった。

 

 

そして、先程と同じ場所に戻ると

その子は、やはり先ほどのままだった。

 

一瞬、キラッとふたつの小さな光がこちらに反射した。

目が開いたままだったのだろう。

それも「前」と同じだった。

 

 

後続車はまだなかった。

 

また横を通り過ぎて、来た道の進行方向にUターンし、

手前でバイクを停めて、そうしている間に後続車が来ても遠くから視認できるようヘッドライトでその子を照らした。

 

自分の覚悟が揺らいでしまわないように、「これからすること」の準備を進めた。

 

ヘルメットを脱ぎ、リュックから、白地のパンダの絵が入った手ぬぐいを出した。

「前」と同じように、せめてもの弔いの意味も込めてくるんであげようと思ったからだ。

(パンダ好きな僕にプレゼントとして人からもらったものだったのだけど、

 そのように使えるものではもうひとつ、タオルがあったのだが、

 それは派手な色柄だったので意図にそぐわないと思ってやめた。)

 

手ぬぐいを手に持って近づいたが、

しばらくの間、立ちすくんだままその子を見下ろしていた。

 

 

触りたくない。

 

「抜け殻」に、触れたくない。

 

「死」そのものに、触れたくない。

 

 怖い。

 

 

だけど。

 

あそこで血を流して横たわっていたのは。

 

全く関係がなく、同じ人間という種族ですらない。

 

それでも、ぼくはあの子をもうひとりの「自分」だと認識してしまっていたから、

助けないわけにはいかなかった。

 

「命」は助からない。

もうそこに、ない。

 

それでも、「助けて」やりたかった。

それくらいの「救い」があっても、いいはずだろう。

救う対象が「自分」であるなら、なおさら。

 

 

深呼吸をして、屈み。

手ぬぐいでその子を下から持ち上げようとする。

 

触れた時、ぞわぞわした。

 

体温はなかったが、身体は硬直はしていなかった。

柔らかく、ぼくが知る猫がもつ「弾力」があった。

ただ、寝ているだけのようにも思えた。

 

一度目は持ち上げられなかった。

体の下への手の差し入れ方が浅かったのと、

腕と手に力が入れられなかったから。

 

二度目は、体の下に深く手を入れて、持ち上げることができた。

立ち上がって、道路脇の草むらへ移そうとした。

重くて持っていられない、と思ったけど、

そうではなくてやはり震えて手に力が入らなかっただけだった。

自分の手じゃないみたいだった。

 

草むらの中へそっと横たえ、手ぬぐいでくるんだ。

手を合わせた。

ぼくは仏教徒じゃないのに、なんで手を合わせてしまうんだろうね。

 

でもある人が言っていたよ。

「この方が気持ちが入るんだ、いいじゃないか」って。

 

頭の中ですら言葉になっていなかったけど、

目を閉じたまま、祈った。

 

言葉にすると

ごめんね、とか、

もう苦しくないとか、

あなたのことを想ってるよ、とか

そんな感じだったと思う。

 

 

もうずいぶんと遅くなってしまったが、もしかしたらまだNETWORKSは演っているかもしれなかった。

 

泣いたまま、ヘルメットでバレなきゃいいななんて思いながら

とりあえず入口まで言って受付をした。

 

スタッフの中にぼくを知っている人がいて、声をかけてくれたが、

うまく話せず、ぎこちなかったと思う。

 

先の方の駐輪できるスペースで主催者の友達が待ってくれているとのことで、

そちらへ進むと、主催の友達が手を振って歓迎してくれた。

その時も、受け答えをするのが精一杯で、とてもぎこちない態度になってしまった。

友達は、きっとわけがわからなかったと思う。

 

メインステージへ進んでいくと、NETWORKSはまだ演っていた。

いちばん後ろの方で観ることにした。

機材トラブルかなにかで中断していたようだったが、すぐに再開となった。

 

始まった曲は、ぼくが好きな、楽しみにしていた“Came-Mu-shi”だった。


この曲には空へ昇っていくような感覚を覚えるパートがあるのだけど、 
そこで盛り上がるバンドとオーディエンスを観て、

こみあげてきた気持ちは高揚感ではなくて、

そのせいで目の前の空間に自分がコネクトできないことが苦しくてまた涙があふれてきた。

次の曲でNETWORKSのステージは終わった。

 

主催の友人と同じくスタッフであるそのお兄さんを見つけていたのでつかまえて、

来たよ、って挨拶をしたのだけどやっぱり普通に話せなくて、

「ほんっとにしょーもないことなんだけど…」と、

状況とそのときの心境を乱暴に説明した。

そして、

今とても楽しめる心境じゃなくて、途中で帰ったらごめん、と伝えた。

やっぱり、困惑させてしまった。

彼は10時間以上仕事していて休憩に入るとこだったらしく、

そんな中、

あそこのコーヒーがおいしいよ。少し落ち着いたらいいよ。12時頃戻ってくるから。

と言ってくれた。

 

そのお店でハンドドリップのコーヒーを買い、

駐輪したところに戻ってバイクに腰掛けて飲みながら小一時間星を眺めたり、

遠くのステージから聞こえてくる音に耳をすませていた。

 

落ち着きはしたものの、思い出すとフラッシュバックというか、

やはりこみ上げてきて泣いてしまい。

 

結局、帰ることにした。

フェスに、2時間近くかけて来て、2曲だけ観て、2時間かけて帰る、って

なんなんだって思ったけど。

 

もっと待てば、時間が経てば楽しむことができる気分になったのかもしれないけど、
その時の自分は「祭り」の場にはそぐわないなと思った。

 

みんな、楽しみに来ているから。

みんなが楽しんでる中、悲しい顔で泣いてるやつがいたら、

盛り下がらないまでも、なんだよって気になるだろうし、

どうしたのって気にかけるし、実際お兄さんも気にかけてくれた。

 

無理やり楽しんでやろうかとも思ったけど、

ほんとうの自分の気持ちを否定したり裏切ることを最近はしたくなかった。


楽しんでる「フリ」をするのは、それは違うと思ったし、

このフェスをつくりあげてる人たちに失礼だと思った。

(あんな顔して、あんな短時間で帰るのもじゅうぶんすぎるほど失礼だけど)

 

ついさっき通った受付で、

スタッフの方に途中外出かと思われたが、

「…すみません……帰ります!」とだけ言った。

 

顔見知りのスタッフは、なんでとかどうしたのとか聞かずに

「べじさんありがとうございます!」

「気をつけて!」

とだけ言ってくれた。

 

スタッフの方たちを困惑させてしまったし、

残念な気持ちにさせてしまって申し訳なかった。

単にぼくがぐちゃぐちゃでどうにもならなかっただけで、

スタッフの方たちは誰も悪くない。

主催者とお兄さんのふたりには後日メッセージを送った。

 

帰りにもういちどあの子のところに行って手を合わせ、帰路についた。

 

翌朝、

「この場所に猫の遺体を移してある」ということをしかるべきところに連絡しなくては、

と思い調べたものの、担当が村なのか県なのかわからなかったのだけど、

結果、「道路緊急ダイヤル」というものがあることを知り、

そこにかけて対応をお願いした。

 

www.mlit.go.jp

 

「前」の時は清掃局が来て回収した後、合同で動物の葬儀を執り行ってくれるということだったのでその点を確認したかったのだが今回は、

「実際に対応にあたる自治体によるのでなんともいえない」との回答だった。

 

 

ある人に、

「悲しいことがあって、話を聞いてほしいことがある」と伝えた。

 

詳細については伏せたまま、細切れでほんとうに要点のみを伝えた。

(猫、とも言わなかった。)

 

シンプルで、とてもわかりやすいアドヴァイスをくれて、

すうっと、気持ちがとても楽になった。

 

そして、ぼくの命が好きだと言ってくれた。

 

 

「命が」。

 

 

「命」。

 

 

「生き死に」についてぼくはなぜこれほどまでに過敏になるんだろうと改めて考えた。

 

なぜ「死」に触れまいと、遠ざけようとするのだろうと考えた。

 

 

根底には、死ぬ気で「生ききりたい」という切実な願いがあって、

それがまだできていないから、叶えてあげていないから、

自分を裏切っているからなのかもしれないと思った。

 

 

その人とメッセージでやりとりしていた時、 

 

「さっきも思い出して泣いたし、まだ泣いてしまう」と言うと、

 

「思い出したい?今どういう自分でありたい?」と訊かれた。

 

それにぼくは、

 

「忘れるんじゃなく覚えていて、でもひきずりたくない

 

 好き好んで思い出したいとは思わないけど、思い出しても平気になりたい

 

 同じことがまた目の前で起きても、我を失わずに、

 

 慈しむことができるようになったらいいのかなと今思った」

 

と返した。



目の前の大切な存在は、自分の分身であって、

自分と同じくらい大切だけど、

やっぱり「分身」だから、イコールではない。

 

その交わることのない平行線/断絶はあまりに哀しいけど、

それゆえにもうひとりの自分を愛することができる。

 

まだよくわからないし、

まだ思い出すと涙が出てくるけど、

 

他者に「愛を届けることができる」ということ。

 

そこに光を当てていくことを、今「また」、しているところ。