最近、内装や家具造作に関しての相談がちょこっとずつだけど増えてきた。
(※ベジは元・内装施工管理です。むかーし、ね。)
今日は前日に依頼があり、お父さんバンク出張。
そんで帰る前に、AV家電の収納方法について相談を受けた。
そういう時はその場でとりあえず思いつく案をポンポン出していくんだけど。
今その時のことを思い返してみてて、
ぼくは
求められているものが目に見える物質か、目に見えない方法かによらず、
既にある正解を「与えよう」とすることはしてないんだなって再確認。
能力としてはほんとうに未熟もいいとこなんだけど
相手にとっての正解を「作る」、ことに意識を向けている。
最適解を導き出そうとすること、それ自体が楽しいんだよね。
(【大喜利スト】を自称しております)
数学なんかを除いて、人の世において正解というものはひとつじゃないし、
「これが正解だ」として人に出来上がった答えを与えるのって、違うと思う。
インスタントな救済を求めてる人とは利害が一致するし、
いつの世もそれらがなくなることはきっとないんだけど、
ぼくはそれ、好きじゃない。
相手のことなめてるきがするから。
相手の命そのものに対する侮りだと思う。
人それぞれで好きにしたらいい。
それは何人たりとも侵すことのできない部分であって、
どこの誰であろうと認めざるを得ないはず。
だから
「正解はひとつだ」とする考えを強制/洗脳しようとする、
つまり、相手の好きにさせよう(=相手を自由にしようとしない)奴がいたら、
そいつらの罪は重いと思っている。
#えいっ