「迷惑系YouTuber」を自称するへずまりゅうという人が最近逮捕されたらしい。
スーパーで精算前に刺身食ったとか。
結構前にその動画を見ていたんだけど、まあ、イラッとした。
ぼくがそう感じたのは
彼がルールを破ったからではなく「他人の迷惑を省みなかった」からではあるんだけど、
そこよりもっと「奥」があって。
ぼくには、彼は「他人を軽んじることを通して、不確かなじぶんを確かなものにしよう」としていたように思えたから。
『迷惑系YouTuberとして有名になってやる!』という意気込み(?)はあったかもしれないが、
『人からどう言われようが俺はそれを一生やっていく!』という「覚悟」のようなものが感じられなかった。
「人を使ってじぶんを確立させようとする、しあわせにしてもらおうとする」姿勢は、ぼくは好きじゃないんですね。
だって、美しくない。
「誰がなんと言おうとこれが『俺』だ、俺にとっての生きがいはこれなんだ」と言える人は美しいと思う。
それがたとえ今の世界でどんなに「ダサい」とされていることだったとしても、ぼくはその人を美しいと思う。
これ、「ドブネズミの美しさ」がわかる人はきっとわかってくれると思う。
あなたは「迷惑系」の元祖(?)、フランスの【レミ・ガイヤール】って知ってますか?
悪戯の権化と言ってもいい。
悪戯というとかわいく聞こえるけど、やってることが犯罪スレスレどころか、ド直球の犯罪だったりするんだけど。
(普通に何度も逮捕されてるっぽい)
ぼくは大好きなんです。
ぼく、罪とわかっててあえて罪を犯す人って基本的に好きじゃないんだけど、レミは別。
「うわあ、もし俺がやられたら間違いなくキレるわこんなん」ってのもたくさんある。
でも、『だから彼は迷惑行為をやめるべき/彼にやめさせるべきだ』とは思わない。
止めたからって止まらないしね。
だってたぶん彼、悪戯に命かけてるもんね。
だから何度逮捕されようがまたやるし、「懲りる」なんてことはないよね。
先に挙げた
「他人を軽んじることを通して、不確かなじぶんを確かなものにしよう」、
「人を使ってじぶんを確立させようとする、しあわせにしてもらおう」とするのではなく、
「確固たるじぶんを持った上で、じぶんを使ってじぶんをしあわせにしようとする」姿勢。
彼がそれを貫こうとする時、他人を軽んじることがもれなくセットで付いてくるわけだけど、
「他人なんて俺の幸せのための道具だ」なんてことは、きっと思ってないと思うんだよなあ。
(それでも、人に怪我させるおそれのある危険なことは、できたらやめてほしいなあと思いますけどね)
もし彼が『笑いが取れさえすればなんでもいい』、ただの「他人の迷惑を省みない」奴だったとしたら…
多くの人からこんなに愛されてないと思います。
レミ・ガイヤール、こんな奴です。
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詰め合わせ。
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P.S.
言わなずもがなだけど…
この記事でぼくは「他人の迷惑なんて考える必要はない」なんて言いたいわけでは決してないですからね。念のため。