映画『天気の子』。
個人的には前作の『君の名は。』と違って二度見なくてもいいかなと思う出来だったのだけど。
それはそれとして、クライマックスで主人公のひとり穂高がしたある「選択」について、
自己中だとかガキだとか、大勢人の迷惑考えろよ、見ててイライラする、とか言ってる人が多くいるのを知って愕然とした。
『…ほんきでそんなことを言ってるのか?』と。
(あ、その価値観のギャップをまざまざと思い出してそこにイライラしてしまうせいで、もう一度見たくないというきもちを抱いていたりもする。)
新海誠監督はインタビューで
『天気の子』は「帆高と社会の対立の話」、つまり「個人の願いと最大多数の幸福がぶつかってしまう話」だと思っている
と語っているんだけど。
穂高のあの選択にイラついている人は、
極限状況において、
「全く身近でない、顔の見えない最大多数の幸福」をなんの躊躇もなく選べるとでも言うのだろうか?
ぼくはそんなわけないと思うし、そう言う人がいたら「嘘つきだな」と思う。
いや、「じぶんに嘘をついていることにきがついていない」というのが正しいかもしれない。
今回、特にオチもないです。
コロナ騒動で圧し潰され余裕を失っている人たちが、正しさでもって少数派を圧し潰そうとしている様を見ていて、ふと思い出したことでした。
ちなみに。
『STAND BY ME ドラえもん 2』の大人のび太、あれはぼくもイライラしましたよ。
最大多数の幸福を選んだとかですらなく、ただじぶんの弱さから逃げてじぶんのたいせつな人をたいせつにしてなかったからね。