『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』
有名な言葉ですよね。
ほんこれだよなあと思っていたけど、
今日の記事タイトルのテーマで連想してふとググってみたら
なんと、続きがあった。(知らなかった!)
↓
『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』
言わなきゃ伝わらない。
だけど、言うだけじゃ、人は動かせない(変えられない)。
人がほんとうに変わるのは、
その人が『変わりたい』と思った時か、
変わる必要を感じた時だけだ。
要は、じぶんを変えることにその人自身が納得した時だけ。
形だけ「できた人間」、そしていろんなことが「できる人間」にするだけなら、
命令をもって強制することはできるけど、
その強制力がなくなった時、その人はその先も「できた人間」/「できる人間」でい続けることができるだろうか。
ぼくは疑問に感じます。
「じぶんを律することができる人間」よりも、
「じぶんで立てる人間」
…よりも先の、
「じぶんで考え、じぶんで生きたいと思い、じぶんの意思で生きていける人間」なんじゃないだろうか。
人生の「先生」たる親が、大人が、
こどもであっても対等な相手として接し、その声に耳を傾けないで。
感謝を伝えないで。
その無限大の可能性を信じないで。
その子は、それらをできるようになるかなあ…?
こどもは、
ちゃんと見てる。
背丈の高い大人のことを見上げてくれてる。
ぼくら大人も、目線の高さを合わせて向き合ってみよう。
こどもは、
ぼくらがこどものことを見ていない時でも、
ちゃんと見てる。
ぼくら大人は、じぶんがどう生きていたいかを、
『こんなふうに生きてもいい』を、
実際にその生き方で見せてあげられる。
それはひとことでは、言葉では説明しづらいこともあるから、
背中で見せて、語っていきませんか。
みんなでいっしょにね。