あけましておめでとうございます。
そして(これを言うのももはや何度目だろう、)ごぶさたしております。
はい、生きてましたよ。
(´・ω・`)
ごぶさたしている間、12月はタイに行ってきました。
そのお知らせも全然できんかったので年明けてようやくなんだけど、
それはこんなわけでした。
↓↓↓
(´-`).。oO(ちなみに
はしょってはしょって短くしたけどそれでも長くなった経緯を書いてたんだけど、
polcaのプロジェクトは文章の文字数上限400文字っての知らなくて削るのめちゃたいへんだった…。
助けて(支援して)もらえたらもちろんうれしいんだけど、
それだけではなくて。
これは言わないと、ちゃんとシェアしないといけないきがするやつで。
ブログでは経緯をちゃんと載せたいと思います。
《タイで…①山岳少数民族の少女と彼女の子といっしょにトランポリンを跳びたい!&②【虹の学校】の空撮PVをプレゼントしたい!》
去る12月、旅をしてきました。
趣旨はタイトルの通りなのですが、経緯について少しお話しさせてください。
①の少女とは、『トランポリンをかついで世界の笑顔をつなぐ旅』、チームFLYHIGHの石原舞(現・舞フィッツジェラルド)のファンならご存知、
タイ北部の街チェンライのとある施設で暮らす(いわゆる首長族として知られる)カレン族の少女「マリー」です。
かつて周囲に心を閉ざすようにほとんど笑うことのなかった彼女が、「この子を笑わせたい」と舞さんが持ちこんだトランポリンを初めて跳んで、
ーー笑った。
それはもうとびっきりの笑顔を見せてくれたのです。
そんな彼女へのクリスマスのサプライズプレゼントとして、大きなトランポリンをあげるため舞さんと仲間たちにジョインしていっしょに旅したのが3年前、2016年の12月のこと。舞さんの初めての訪問から2年ほど経っていました。
連絡手段がないのでそこにまだいるかどうかもわからないまま向かうも奇跡的に再会でき、トランポリンを跳んで笑ってはくれたものの…
それはぼくたちが勝手に期待していたはじけるような笑顔ではありませんでした。
「(遊んではしゃぐような歳ではない)お姉さんになっちゃったんだね」と舞さんが言いました。
翌朝、チェンライのカフェにてバンコクへ戻る前にメンバー全員でその旅の振り返りをした際、
ぼくは勝手に宣言しました。
「うれしくないはずがない、絶対に。もしかしたら極度にシャイなのかもしれない。なにかしら理由があるはず。だから俺もう一度あの村に行ってくる。そして確かめてくる。いつになるかはわからないけど。」と。
…
半年後。
さまざまな助けを得て再び訪れることができたカレン族の集落で、ぼくは想像だにしていなかったものを目にしました。
それは…
前と同じように人を寄せ付けない雰囲気で座って手仕事をするマリー(15歳くらい?)の、おなかが大きくふくらんだ姿でした。
それを見た瞬間、「ああ、ああ。」と頭の中でも言葉にはならなかったのですが、すべてがつながった感覚でした。
恐る恐る、彼女に英語で話しかけました。「ぼくのこと、覚えてる?」
ぼくと目が合って彼女は驚いた後、少し恥ずかしそうに頷いてくれました。
「ありがとう。また来たよ!それからえっと…」と続けて話そうとしたけど、英語が決して得意ではなさそうだったのと、ぼくも何をどう伝えればいいかわからなくなって、
平日こどもたちに勉強を教えに来てくれている先生を探しにいきました。
先生にも無事再会でき、「マリー」のおなかのことを聞きました。
出産予定時期から逆算するに、「あの時」すでに、彼女はじぶんのおなかの中にもうひとつの命を宿していることを知っていた可能性が高い。
ぼくの頭の中に浮かんだ仮説はこう。
「本来なら運動を避けるべき時期だったけど、他でもない石原舞の再訪だったからこそ、彼女はトランポリンを跳んでくれたのではないか。」
彼女がトランポリンで思いきり跳ぶ姿を見たくてはるばるやってきたものの、
本人を目の前にしながらもその実現はまたおあずけになってしまったけど。
「理由」が(おそらくではあるけど)やっぱりあったこと、そして何より、「あの」マリーが結婚して、その上こどもを産むということ。
それが無性に嬉しくて胸がいっぱいで、先生とこどもたちの前でぼくは泣いてしまいました。
さらに極め付けに、
「せっかく来たからには」と、小さな子たちとトランポリンでいっしょに遊んでいたのですが…
その中にどうやら「マリー」の弟か妹がいたらしくて、いつの間にかそれを見に来てて(これまでなら誘ってもなかなか来ない)、あろうことかなんともやわらかくて優しい表情で笑って眺めていたのです。
「あのマリーが!!じぶんからやって来て!!!トランポリンで遊んでる子を見て!!!!しあわせそうに笑ってる!!!!!」と思って、こみ上げるものがあり、それでまたもや泣いてしまいました。
その後彼女に宛てたメッセージを紙に書いて先生に翻訳してもらったのですが、その最後で
「またいつかここに来るから、その時は、あなたと産まれてくるあなたの赤ちゃんといっしょに遊ばせてくれる?」と尋ねたら、彼女は「もちろん!」と答えてくれました。
ぼくが遊びたいのはもちろんのこと、
また彼女がトランポリンを跳んでくれたら…もしかしたら舞さんの著書で見たあの弾けるような笑顔を見せてくれるかもしれない。
それが叶わなかったとしても、かつて笑わなかったけど、もう笑えるようになった少女がその命を繋いで、じぶんのこどもに笑いかける様を、どうしてもこの目で見たかったから。
それが、もう一度あの村へ行きたかった理由です。
また、同じくタイの【虹の学校】で奮闘されている片岡鉄男さんに、チェンマイで合流してマリーのいるチェンライへ向かい、訪問の様子を撮影してもらえることになり、
『手元にまるでお金はないけれど、でも、余裕のできる「いつか」を待ってたらだめだ、このタイミングしかない!』と思い、旅立ちを決めたのでした。
そして、
タイトルの②。
実はその【虹の学校】に行くことが、この旅のもうひとつの大事な目的でした。
2018年にそれまでの場所からの立ち退きを余儀なくされ、もう一度学校をゼロから作り上げようとしている【虹の学校】の新天地とこどもたちの姿を、たくさんの人に紹介する動画を撮影しプレゼントしたいから。
同じ国とはいえ決して近くはないし、日程的に全然余裕はなかったけど、タイに行くこの機会を活かし、弾丸なスケジュールで行ってきたのです。
この旅は、世間一般的には「やらなくてもいいこと」でしたが、
ぼくにとってはこれ以上ないほど「やらなくてはならないこと」でした。
容姿や言葉が異なる、関わりのなかった誰かに関わり笑わせること。
「誰か」ではなくなったその人と視線を交わし、笑い合うこと。
「やらなくてもいい」それらにあなたがもし意味を、価値を感じてくれるなら、
今回かかった旅費についてぜひ支援してくれませんか??
(๑ÒㅅÓ)ノ
※polcaを使わず直接のご支援ももちろん大歓迎です!
(・ᴗ・)/
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#タイミング的にお年玉募集になったけど
#本当にほしいのはあなたの共感
#そして共鳴
#誰かを笑わせたいと願うチームの仲間になってくれること
#あと
#なるだけブログ更新します
#今回の旅についてシェアする報告会を3月22日に開催するので予定空けといて!
(๑ÒㅅÓ)ノ