あくまでも個人的に、だけど。
『なにくそ!』とか
『ざっけんな!』とか
思って、じぶんの存在を軽く扱われた(ように感じた)屈辱(=怒り)をバネにして
何らかのじぶんの行動の推進力に変えることがもうできなくなっているなあ、と。
じぶんにとっての「悪役」の人にも正義があって、
その人の考え方をじぶんがきにいるかきにくわないかは別として、
ぼくは絶対に否定しないことにしているので、
「(人それぞれだから)しかたがないや」という結論に必ず着地するわけだ。
それによってじぶんも、他人も「守る」ことがずっとできていたんだけど、
(誰か、でなく)どこかへと積極的に「攻めていこうとしない」いいわけにもずっとできていることを再確認した。
それはある人に「情熱を感じない」と言われて。
「情熱」ということばではないけどそういうニュアンスでは前から自覚していたことだから、別にへこむとかではないんだけどね。
スピードを上げて早く進むことだけが善ではない。
けど、
ギアを入れ替えて周囲の景色の流れ方を変えてみたいきは、ちょっとある。