生まれてこのかた順風満帆の人生を送っている人の価値観よりも、
どん底の中にいた(もしくは九死に一生を得た)ことのある人の価値観の方が好きだ。
いい悪いではなくて。
ただ、ぼくはそっちのが「信用できる」と思っている。
痛みや苦しみを知っていることは、
長くその人の足枷になることもあるけど、他者に優しくする理由になる。
痛みや苦しみを、
(たいていの場合八つ当たりである)復讐のための糧とするか、
眼に映る笑顔を守るために胸の内の礎とするか。
折れることはあれ、最後に選ぶのは後者であってほしい。
結局のところ戦いとは、
敵を外(自らの他)に認めているうちはまだまだで、
ほんとうにたいせつなものまで放り投げて逃げ出してしまいたくなる自分にこそ挑まなければねらないものなのだと思う。
人生にロスタイムがあっても、
タイムをlostしたわけじゃない。
ロスタイムはあっていい。