レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、いっしょに遊び楽しむことを通してこどもの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。(できる時に、更新。)

こどもを「助ける」前に、親が「手伝える」ことを探してみよう

前日の出張時に思い出したこと。

recrea.hatenablog.com

 

でーっかいお城の遊具があって、

 

https://parkful.net/wp-content/uploads/2015/12/image11.jpg

(画像はPARKFULさんのサイトの飛鳥山公園のページより)

 

この画像左下のでっかいホッチキスの針みたいな足場を「登るー!( ´ ▽ ` )ノ」ってのサポートしてたんだけど、

 

途中で「こわいー!(´;ω;`) 」ってなって。

 

そんな時、あなたならどうしますか?

 

 

 

 

 

こども「こわいー!(´;ω;`) 」

 

大人『あらあらこわいのか、かわいそうに…すぐ助けてあげよう!』→抱きかかえる

 

↑これはイクナイ!(・A・)

 

とベジは思ってます。

 

 

これを繰り返すことでこどもが学習「してしまう」ことは、

 

「声を挙げれば大人が助けてくれる」です。

 

 

 

『何がいけないの?いいことじゃん』って思いますか?

 

 

 

こういう時ベジは、助けません。

 

もうちょっと正確に言うと、

 

ちゃんと助けるけど、それはこどもから「こうしてほしい」という意思表示があった場合。

 

そして、助けるというよりお手伝いをします。

 

 

 

「こうしてほしい」を伝えなくても助けてもらえる、やってもらえる

 

に慣れてしまったら、

 

その子はじぶんでじぶんを助けることができなくなっちゃうんじゃないかなあ、と思います。

 

何かイレギュラーなことが起こった時、ぶっつけ本番でなんてできっこないよ。

 

だって普段やってないんだもん。

 

 

 

「不安を取り除く」それすなわち「やさしさ」とは限らないと思う。

 

 

 

どんな人であっても、生きていく上で、

 

「じぶんでじぶんを助けるために、人の協力や助けを求める力」

 

は必須です。

 

ぼくは会話の中で「こどもと遊ばせてもらえたらそれでいい」なんてよく言ってるけど、

 

こどもといっしょに遊ぶことを通して彼らの「生きる力」を育てたいと思ってるので、

 

そこらへんはわりとスパルタ式ですよ!

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

#スパルタすぎるとたまにこどもにキレられるけどね

 

 

P.S.

 

言わずもがなだけどTPOによりけりで、これが絶対ではないですよ。

こどもがメンタル的に限界近いとか超えてるとかだったら

言葉にできない時だってあると思うし、

そんな時は何も言わず抱きしめて助けてあげればいいと思います。
(๑′ᴗ‵๑)