レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、こどもと遊ぶことを通して彼らの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。

最後の最後に残るもの

また、「たぶんこうだろう」っていう可能性の話。

 

実証できてないけど確信だけがある仮説の話。

 

 

 

じぶんの思考から

 

自罰や自暴自棄の選択肢を無くしたとき

 

握りしめていた不安や怖れを手放せたとき

 

私利私欲にしがみつく必要がなくなったとき

 

じぶんの意識を保ったまま「我」から離れたとき。

 

目の前で起こるありのままを受け入れる空間が心の中にできたとき、

 

外部からの力によってではなく、理由なく、

 

「ただの現実に、ただ感じ入る」という現象が起こる。

 

なぜだかわからないんだけど涙が溢れてくる。

 

「それ」を絵に描くとして、ひとつの色では塗ることができない。

 

それはうれしいとかかなしいとか、とてもひとことでは言えない、説明できないんだけど、

 

それでもそのきもちをことばで表わすなら、

 

「ありがとう」がいちばん近い。

 

他者に感謝しなければならないとか、そこを目指すべきだとか言いたいわけじゃなくて、

 

ほんとうのほんとうに最後には、

 

きっと、みんなそこにたどり着く(はず)。

 

ってことが言いたい。

 

 

 

あなたは、

 

かつて、もしくは今思っている

 

『許さない』を。

 

わたしを傷つけたことを。

 

わたしにこんな思いをさせたことを。

 

わたしをたいせつにしなかったことを。

 

わたしをひとりきりにしたことを。

 

『わたしはこんなにもさみしかった』を。

 

「無かった」ことになんてできないだけ。

 

それらを許すのは、決してかんたんなことではないだろうけど

 

でも「許せない」のではなくて。

 

「許さない」って握りしめてるだけ。

 

「わたしが」許さないだけ。

 

『わたしがわたしを離したら、(ただでさえ消え入りそうな)わたしがわたしという形をとどめなくなってしまう』

 

と思っているから。

 

そんなのは怖すぎるから、絶対に手放さないってだけ。

 

 

 

それでもなにかのきっかけでそれができたなら、

 

もしくは個としての「タイムリミット」を迎えたとしても、

 

たぶん、

 

最後には、感謝だけが残る。

 

 

 

P.S.

 

抽象的すぎて、感覚的すぎて、

 

じぶんでもなに言ってんだコイツ?って思ってるけど、

 

言わなきゃいけないなあって思ってるので書きました。

 

伝わるかなあ。伝わったらいいなあ。