はじめは「ぼくに会ってみたい人がいたら、会いましょう!」と言ってたのが、
きがついたら、「ぼくが」会いたい人に会いに行くツアーみたいになっていました。
あらためて、言葉にしてみることにする。
ぼくが会いたいと思う人の共通点。
人を笑顔にしようとしてる人。
楽しませようとしてたり、安心して楽にさせたげようとしてたり。
生きてる人をもっと「活かそう」とする人。
そして、そういう人たちの中にはまた共通点があって、
それは
かつて死にそうになりながらも、
もんどり打って、もがきながらもじぶん自身でじぶんの生きる意味を見出し、掴み取っていること。
そういう人たちの発する言葉だったり表現には、「生」が、命のほとばしりが。
「力」が宿っていると思う。
そこにぼくは、どうしようもなく惹かれる。
ぼくはずっと、なんのために生まれて、生きているのかわからなくて、
強いて言えば、「死なないため」に生きていた。
ぼくが死んだら悲しむ人がいるということをこどもの時に知ったから。
『自分は、必要とされている。』
それは、その先も生きていく理由にはなった。
けど、ほんとうにものすごく身勝手な言い方をさせてもらうと、
それはある意味「死ねなくなった」のであって、
「生きていたい」につながったわけではなかった。
(この辺についてはあらためて書こうと思っています。)
ぼくは「生きていたいと思えるように」なりたかった。
じぶんが生まれた意味と、生きていく意味をずっと携えたままでいられるようになりたかった。
だから、
その表現方法は違っても、「生きていたい」を発し、その生き様で表現する人に会いたいんだと思う。
「生きなきゃいけないから生きてる」じゃなくて、「生きていたいから生きてる」人に。
『やっぱそっちだよね!』って思ってる。
(勝手にだけど)「仲間」がいるって、「もうひとりの自分」がいるって、うれしくなる。
生きててくれてありがとう、って思う。
2/25(月)からまた西日本に出没します!
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