(じぶんを差し置いて)人のために生きることは、
じぶんの生を人のせいにして生きること。
何かにつまずいた時、
壁にぶち当たった時、
何も希望が持てない時。
『◯◯のせいで私はこんなにつらい思いをしている』と思ってしまいがち。
でもじぶんで選ぶこともできたはずなんだ。
「それはわたしをしあわせにしないからしたくない」と。
大人になると我慢を一切しないということはむつかしいから、完全には無理かもしれないけど、
なるだけじぶんにストレスをかけないようにすることは超大事だと思う。
(じぶんの「覚悟の上」でのストレスは別」。それはバネにも、てこにもなる。)
逆説的だけど、
余裕(余白)をもつことにかけては、死ぬ気でがんばった方がいい。
他者に思いやりを持てなくなってたら、それはかなりの「黄信号」(ていうかほぼ赤信号)だ。
からだが疲れてたり、心が疲れてたり(またはその両方だったり)すると、
じぶんを支えるのに手一杯になる。
心と体は連動していて、
ひっぱりあう。影響しあう。
そこでじぶんを支えることを目的にするのでなく、
(わかる!ひとりで立ってるので精一杯で、しんどくてなんも考えらんないのはよくわかる!でも、無理を承知であえて言う!)
じぶんが自ら活き活きと「生きていたい」と思えることするのを目的にしよう。
じぶんを満たすもの
じぶんを癒すもの
じぶんを奮い立たせるもの
種類はたくさんある。
なんでもいい、
これをすると「生きててよかった」と思えるもの。
じぶん(の命)をよろこばせるもの。
それを「知ってる」ことが超大事。
知ってたら、(忘れても)思い出せたら、「それ」をすればいいんだから。
まず、じぶんをよろこばそう。