レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、こどもと遊ぶことを通して彼らの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。

いつまでもたえることなく、こどものままでいよう。

突然ですが、

ぼくは、いつまでもこどもでいたいです。

(絶対に働きたくないでござる!的モラトリアムな意味ではなく。)

 

ぼくはもうずいぶん前にいわゆる「大人」になってしまったらしいので、「こどもにもどりたい」

と言った方が正しいのかもしれませんが、感覚としてより近いのは「こどもでいたい」です。

 

なぜ?

 

それは、かれらが自由だからです。

自分に正直に生きているからです。

常識やルールから解き放たれているから。

自由を、大人より小さなそのからだで体現しているんです。

 

そういう意味では、こどもはぼくにとって「憧れ」であり「希望」そのものです。

これまで、かれらから学ばせてもらったことがたくさんあります。 

 

そう、「学ぶ」という言葉が出たところで、

こどもに対してなぜ教育をするのか、みなさんは考えたことはありますか?

 

「それはもちろん、こどもたちが社会で生きていけるようにするためだ」なんて思っている方は、
たくさんいるのではないかと思います。

 

しかし、ちょっとまってください。

疑問に思いませんか?

 

今ある社会に適応させるために既存の常識やルールを押しつけ、枠に押し込めることは、はたしてほんとうに「彼らのため」なんでしょうか?

 

それが間違っているとは言いません。

それもひとつの正解だと思います。

 

ただ、

ぼくらの人生の主人公が自分であるように、

かれらの人生の主人公は、かれら自身であるはずだと、ぼくはそう考えます。

 

おなじ「こどもたちを思う優しさ」であっても、

 

「うまく生き抜いていけるように、ぼくらがあれもこれも躾けて(与えて)あげなければいけない」と、

 

自分で各々の幸せを見つけて(獲得して)いけるように、サポートしてあげられることはなんだろう?」は、

 

まったくアプローチの仕方が異なると思います。

 

その原因として、そもそも「幸せ」の捉え方が異なっているということも挙げられると思いますが、

それについてはまた別の機会に譲るとして、ぼくは、後者の考え方が好きです。

 

ぼくら大人は、年齢によってかれらの上のステージ(上下関係)に立っているのではなく、

同じ時間軸の、同じ地平の上で、たまたまかれらより先の方を歩いているだけなんだと思います。

 

人にものごとを教える【先生】って言葉は、

【「先」に「生」きている人】、そういう意味なんじゃないでしょうか。

 

だからぼくは別に大人というだけで偉いとか思わないし、

年齢なんて関係なく自分に正直に生きている、自分を貫いている人こそがすごい、偉いと感じてしまうたちなので

古今東西、いつどこであっても自分に正直に生きている「こども」という存在に憧れるし、

やっぱりこどもになりたい、こどもでいたいなあ、と思います。

 

以上、

ざっくりですが、ぼくがこどもとふれあいたい理由のひとつでした!