ぼくはこどもを笑わせるために生きてるわけだけど、
まーあまのじゃくだもんで、
「これをやればその子は笑う」というのを教えてもらってあらかじめわかってても、
それをせずに
その子の「ツボ」をじぶんで探しだすのが好きだ。
とっかかりとして鉄板のひっさつわざ、【せなかでどこだ】を繰り出すことはあるけど、
それはぼくがじぶんで編み出したわざだからいい。
要は、
「ぼくが」笑わせたい。
「どんな子であってもその子の懐に飛び込んで、笑わせられる人でありたい」
と思っている。
赤ちゃんや小さい子の脇腹をくすぐればたいていは笑うけど、
それは強制的に「笑わせている」のであって、
自ら心を開いて「笑ってくれている」のではない。
笑ってたらそれでよし、とはしたくない。
ああ、
身体の反応として笑顔を見せてくれてても、
心が開いてなきゃそれはほんとうの笑顔ではない、とぼくは思ってるのだな。
なんて説明していいかわかんなかったけど、書いてたらわかった!笑
誰だって、無理やり笑わされたくはないはずだと思ってる。
誰かにコントロールされたい人なんて、きっといない。
お互いひとりの「人と人」として、笑いあえるのだということを
ぼくは何度でも、いつまでも確認していたいのだ。