レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、いっしょに遊び楽しむことを通してこどもの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。(できる時に、更新。)

【3/24(日) 】「しあわせな子育て」についてみんなで考えてみないかい?【再告知】

もっかい、おしらせ〜

( ´ ▽ ` )ノ

 

ベジのひさしぶりの講演、今週末にありまーす!

まだ席ありますよー!

(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

 

あ、今回は

 

TSUNAGARI UNITED(ツナガリユナイテッド)さんの主催で、

 

なんと、参加費無料です!

(((o(*゚▽゚*)o)))

 

 

講演っていっても、ぼくが一方的に話すだけで「一方通行」なのは好きじゃないので、

 

「みんなで輪になって話す」スタイルのお話会ですね。

 

イベントのタイトル

 

『みんなで考える「幸せな子育て」ってなんだっけ?』

 

の通り、

 

「みんなで」考えたいんです。

 

 

 

『こどもがいうことをきかなくてイライラする』

(怒って、その後めちゃめちゃ自己嫌悪する)

 

『こどもの将来が心配…』

 

『こどもの考えていることがわからない…』

 

とかね

 

モヤモヤする、悩んでる親御さんたち。

 

ぼくそれスッキリさせるの得意だから、

 

まあだまされたと思って(?笑)あそびにきてみて〜!

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

 

待ってまーーす♪

(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

 

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P.S.

 

子連れ参加OKです!
人数把握のため申込は下記の通りにお願いします。


【申込方法】


件名を「コドモのミカタ23参加」として、お名前(ふりがな)・所属(個人参加歓迎)・日中の連絡先・参加人数をご記入の上、
下記メールアドレス宛にお申込みください。



tsunagariunited@gmail.com

 


※会場のルールにより、こどもも参加人数としてカウントされての30名なので、
申込状況によっては子連れ参加の申込を打ち切らなければならなくなる可能性もありますので、あらかじめご了承ください。

【告知】ベジ散歩ラストチャンス

毎度お知らせが急なのですが…

ベジがまた関東から遠くへ散歩しに行きまーす!

٩(ˊᗜˋ*)و

 

スケジュールは下記の通りです。

 

↓↓↓

 

3/19火 午前中〜夕方 福岡県北九州市小倉駅周辺) 

 

3/25月 夜 栃木県(那須塩原駅周辺)

 

3/26火 夜 青森県青森市青森駅周辺)

 

今のところ、関東から遠方へ行く予定は(4月のタイを除き)これで最後です。

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

ベジと会って話してみたいぞという方がいらっしゃいましたらぜひご連絡くださーい!‬
(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

 

#希望者がいなければベジさんTVかどこかにドローン飛ばしに行きます

メンバー募集のおしらせ (by【情けは人のためならズ】)

昨日の記事
recrea.hatenablog.com

 

の続き的なやつです。

 

この件に限らず、「みんな」に向かって伝えたいなあということ。 

 

(【じぶんがしたことは、じぶんに還ってくる】って前提で。)

 

 

 

それは、『じぶんでじぶんの首を絞めてることにきづいてる?』ってこと。

 

 

 

今回の件でいうと、ピエール瀧は他人であって、世間のルールから外れることをした「らしい」(まだ「容疑者」だからね)けど、

 

彼をただ血祭りにあげてそれでおしまいにするってことは、

 

じぶんもそうされるかもしれない可能性を作るってこととおんなじなんだよ。

 

なぜかっていうと、

 

じぶん自身が、じぶんが見る世界を作っているから。

 

(こないだも書いた。↓) 

recrea.hatenablog.com

 

じぶん以外の大勢の人たちが悪いことをした人を血祭りにあげてる。

 

これはたしかに事実だし、変えられないんだけど、

 

それを「じぶんが」「肯定するかどうか」ってのは、選べるんだよ。

 

何も考えず肯定して賛成する=ただその流れに加担する

 

ってのも、もちろんいいんだけど、

 

そうすることで、じぶんがその世界観(世界の在り様)を「補強」しているからね。

 

「悪いこと」をすると社会的に殺されて、

 

二度と「生き返る(まっとうに暮らす)」ことを許されない。

 

怖いよね。

 

絶対にそっち側には行きたくないよね。

 

だから必死でルールというやつを守り(というか意識的には『破らないように』)、

 

怯えながら生きるんだ。 

 

あれ?

 

ルールを破りさえしなければ安心なはずなのに、

 

なんでそんなに怯えながら生きてるんだろうね。

 

おかしいなあ。

 

ってぼくは思っちゃう。

 

 

 

まあ、

 

この記事はひとことで言うと『情けは人のためならず』ってことなんだけど、

 

調べてみたらこのことわざには続きがあるんだって。

 

それは、

 

『めぐりめぐって己(おの)がため』

 

なんだそう。

 

知らんかった。

 

意味を誤解して覚えてる人が多いらしいんだけど、

 

後のフレーズまで言えばわかるよね。

 

とはいえ、

 

なんでもさ、「実感」したことがあると『わかるわ〜!』ってなるけど、

 

それがどんなに「真理」であろうと「押し付ける」のは暴力でしかないし

 

(不安で、怖くて、じぶんを守ることで必死になってるような人には特に)、

 

どうしたらもっと相手の胸に「ぽすん」ておさまるように手渡せるかなって、

 

それを考えるのは、これからもぼくの課題だなあと思ってる。

罪人を処刑台送りにするだけでは飽き足らない人たちへ

罪を犯せば罰が下る。

 

当たり前だよ、「罪」だもん。

 

さあさ、広場に集まって。

 

公開処刑を始めよう。

 

ギロチンの紐は持ちたくない?

 

心配ないよ、大丈夫。

 

皆で殺せば怖くない。

 

「いや、殺すほどの罪じゃない」って?

 

わかった、それじゃあそうしよう。

 

ただ、死刑にまではしなくとも、

 

「悪い人」には烙印を。

 

いつか表に出てきたら、

 

一目でそれとわかるように。

 

道踏み外した悪人が、

 

二度と悪さをしないように。

 

奴が関わるあれやこれ

 

三者のでも関係ない。

 

放っておけば叩かれる。

 

火の粉が来れば燃え上がる。

 

もらい火事にならぬよう、

 

全部お蔵にしまっとこう。

 

 

「そんな殺生な」という第三者

 

すまないけれど、諦めて。

 

文句は奴に言ってくれ。

 

「みんな」のためだ、しかたない。

 

(ここでこうしておかないと

 

 うちが「みんな」に殺される。)

 

 

 

こうして今日も、「和を以って

 

貴しと為す」この国の

 

世の安寧は保たれた…とさ。

 

めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

ワルモノがもつ孤独がみんなわかるかい?

 

…わかんないよね、わかってる。

 

みんなは揃って「善人」だ。

 

罪を犯したことなどない。

 

「そっち側」には落ちやしない。

 

「自分だけは」落ちやしない。

 

この先死ぬまで、絶対に。

 

 

#公開処刑

#ピエール瀧 #の今回の件に限らず #思ったこと

#自粛自粛 & #自粛

 

 

 

P.S.

 

Wikipediaによると、フランスで行われた最後の公開処刑は聖ピエール刑務所というところだったんだってさ。

 

だからどうって話だけれど。

 

もう執行されてしまった後だけれども、

 

こんなのはもう、今回の彼ので最後にしませんか。

わりきれない思いをかかえているあなたへ

わりきれない思いをかかえているなら。

 

根性論でうんうん呻きながらたたき割るのを目指すのももちろんいいけど、

 

ちょっと考えてみてほしい。

 

 

 

それほんとうに必要なのか?

 

 

 

スキップしちゃだめなのか?

 

わりきれるはずがないものを、

 

わりきろうとしてないか?

 

『わりきれないものを【私は】【わりきりたい】』のなら、オケ。

 

あなたが、やりたいのなら、オケ。

 

でも、

 

わりきれないものを、わりきれないままで傍に置いといてもいいってことを、

 

そんな選択肢もあるってことを、

 

つまり、

 

できないじぶんも認めて許したげていいってことを、

 

覚えといてほしい。

 

 

 

P.S.

 

…なんでこのトピックかって?

 

今日が3.14だからだよ!

(๑ÒㅅÓ)ノ

何度だってback again

何度でも言うけど。

 

何度だめになっても、

 

何度でも思い出せばいいだけ。

 

じぶんは完璧だってことを。

 

命に優劣はないってことを。

 

ほんとうに必要なものなら、

 

ぜんぶ持ってたってことを。

 

何度だってやり直せばいいだけ。

 

人とか世間とか、相手がある相対的なことで

 

何度くじけたって、泣き言言ったって、諦めたってかまわないけど、

 

「じぶんが取るに足らないちっぽけな存在」だなんて、

 

ただのクソリアルな現実味しかないだけのまやかしを、

 

あなたという「絶対」が、そんなのをあなたの中で認めたままでい続けるのはだめだ。

 

そこで止めるのは、「終わらせる」のはだめなんだ。

 

絶対にね。

おさいふ≠LIFE

財布の中には明日生きるのにじゅうぶんすぎるほどのお金が入っていて、

 

死にはしないはずなのに、

 

困ることなんてないはずなのに、

 

「ぼんやりとした不安」にからだを包み込まれ、じわじわと蝕まれているきぶんになるのは、

 

お金以外にも必要なものがあるということの証明だなあと思う。

 

ぼくが言いたいのは、

 

「たいせつなのはお金じゃないよね!」

 

ってことじゃなくて、

 

「お金だけじゃないよね!」だ。

 

お金はたいせつだよ。

 

正確に言うと、

 

信用を数値化したすこぶる汎用的なツールだから、

 

単純に考えて、

 

たくさん持ってればそれだけ場面場面で「切れるカードが増える」と言い換えることができる。

 

ただ、

 

それはそこに意識的になっている人、

 

意識的になれている状態の人にとってはそうだけど、

 

ただ持っててもしょうがない。

 

お金で安心を買うのを止めはしないけど、

 

それに慣れてしまってる人は、

 

安心を買い続けなければならないことに、

 

じぶんはそういうもんだって、じぶんで決めつけちゃってることにきづいているのかな?ってのは思う。

 

「守っていないとだめ」な存在だって烙印を押しちゃうのは、

 

それだけなのはどうかやめてほしいって思ってる。

 

ぼくはたぶん、

 

手を替え品を替え、言葉を変え、

 

それが言いたいんだな。