レクリエ日記(仮)

こどもが大好きで、いっしょに遊び楽しむことを通してこどもの「生きていく強さ」を育てたい『こども王子/こどもの笑顔クリエイター』、 「ベジ」こと浅野暁彦のブログです。(できる時に、更新。)

俺ファースト and the ギブギブ気味ーズ 〜ギブとテイクと循環と〜

今日も実体験を元に考察するシリーズ(?)、

今回は「ギブ&テイク」と循環について。

 

同じギブとテイクであっても、

うまくいく形とそうでない形がある、という話。

順番に挙げていこう。

 

 

【ギブ&テイク】

 

与えると、もらえる。

もらったら、与えたくなる。

これがいわゆる基本の形だと思う。

 

AとB、ふたりの人がいたとして単純化すると、

「きもちを乗せたモノやコト」(以下、「愛」とする)がAB間を1往復することでプラマイはゼロとなり「循環」が完成し、

AとB、ふたりの人間がハッピーになってフィニッシュ。

(ここではAB間に発生するであろう次の展開(往復)については割愛するけど、続いていく「可能性」は充分「ある」。)

 

 

【テイク&テイク】

 

意図してもらっていくばかりで与えないのは、第三者から見ると「一方的に奪っている」状態。

AがBからどんどん「愛」を奪っていく。

それを甘んじて受け入れてくれる人は、無尽蔵の愛を備えた人でなければ、

よほどのドMでしょう。笑

「愛」が移動した軌跡は一方向で、Aひとりだけがハッピーになってフィニッシュ。

その次への展開がない、続かない(可能性が高い)。

 

 

【ギブ&ギブ】

 

意図して与えるばかりでもらわないのは、第三者から見ると「一方的に捧げている」状態。

AがBにどんどん「愛」を捧げていく。

「愛」が移動した軌跡は、これも当然一方向で、Bだけがハッピーになってフィニッシュ。

「のように」見える。少なくとも第三者の視点では。

その次への展開は?

「ただ与えることもAにとってはハッピーなのだ」とBが納得していない限りは、続いていかないのだろう。

 

ぼくが無償でベジーシッターをやっていてハマったのはここなんだよね。

 

誓って言うけど、

ぼくはシッターの対価を設定せず、報酬をもらわないことで、自分を犠牲にしたことは一度もない。

「がんばった」ことは何度もあるけど、それも無理のない範囲で、だ。

 

ぼくはこどもと遊べるだけで本当にハッピーだし、都度それを伝えてはいたのだけど、

そこに納得感を持ってもらうには至らないことがあったのだと思う。

 

ただそれに加えてぼくは、

「条件なしに優しくされていい、そういう世界はある」

って思ってて、

自分が実際にやってる限りはその世界はリアルに在り続けるわけだからやってたし、

それがもっと一般的に、当たり前になったらいいなと思ってた。

 

“Pay Forward (ペイ・フォワード)”

いわゆる「恩送り」の試みでもあった。

結局は巡り巡って還ってくるしなー、って思ってた。

 

 

上記の説明を「ペイ・フォワード」に当てはめると、

「愛」が移動した奇跡は一方向ではあるけれど、直線ではなく緩やかな弧を描いていて、

最終的におーーっきな円になって自分のところに戻ってくる。

「循環」はしっかりと完成し、フィニッシュ。ってこと。

 

だからぼく的にはほんとになーーーーんも問題なかったんだけど、

 

結局のところ、

(誰もがそうだけど)「自分本位」という形から脱した状態にできず、ぼくのエゴを押し付けてただけだったんよね…。

「こうなるはずじゃん」っていう理屈を、イメージをちゃんと描いて、ちゃんと相手とシェアできてなかった。

 

でも、

その「軌跡」、そのルートの上を「愛」がちゃんと循環するイメージを目に見える形で提示できたら、

それは実現するってこともなんか、確信した。

 

『あ、シンプルにそれだけだわ!』

 

って思ったん。

 

ベジーシッターを料金制にすることを決めた時点では、

もうそうするしかないんだってことは自分でわかってたから発表したんだけど、

それでもまだちょっとモヤってた。

 

でもね…

 

 

そんなにまだずっと先がはっきり見えてるわけじゃないけど、

それでも今はもうスッキリしたよーー!!

 

こんな僕にやれることはこれしかないって気がするんだ

だから、

こっから「循環」、させてきまーーす!!

+。:.゚ヽ(*´ω`)ノ゚.:。+゚

 

 

 

P.S.

今日のサブタイは

パンクバンドのMe First and the Gimme Gimmes から!

(๑ÒㅅÓ)ノ

憧れだけじゃ本当は何も見えないなって思うから

「望み」の話。

 

思いがけず、望みが叶ってしまうということはままあると思う。

 

漁夫の利、棚ぼた、勿怪の幸い。

そういったもの。

 

それはそれでLuckyってことでいいんだけど、

より強い望み、 「願い」とも呼べるものは、「正しく」願わないと「正しく」叶わないきがしている。

 

ちなみに、たとえ方法を知らなくてもその願い方が「正しい」レンジの中に収まっていれば、結果として叶うはず。

そういうふうに、「なっている」。

これは、実体験から導き出した仮説。
 

そう、

今日は、望みは望みでも、

「希望」と「願望」の違いについて書きたいと思ったんだ。

「〜だったらいいなあ」と「〜でありますように」 の違い。

 

それともまた違う表現…んーと、

 

『信じるものは救われる』

 

ってのがある。

 

あれって確かにそうなんだけど、

より正しくは、『信じるものは辿り着く』だと思う。

 

もっと言うと、『信じるものは帰り着く』とでも表現できるっぽいんだけど、

それは体感してないからなんとも言えないんよね。

ていうか3次元の中で生きている限り、そもそも知覚はできないかもだけど。(´・ω・`)

 

有名なところで言うと、

引き寄せの法則」だったり、『思考は現実化する』、かな。

 

ある「願い」があって、それを信じてる度合いが100パーセントだと、「叶う」。

というか、「叶う」ことしか起こらない。(…はず。仮説だからね。)

じゃあ100パーセントでないと、もし99パーセントだったら叶わないか?といったらそんなことはなくて、

まさに「可能性」、その「確からしさ」がその分だけ目減りするってことだと思う。

 

てことは、100パーセントの状態で在り続けることが理想なのは言うまでもないけど、

とはいえ人間は不完全だから、きもちの波があって、「ゆれる」。

容れ物であるからだの状態にも左右される(互いに繋がっていて、影響しあっている)。

 

たぶん、「願い」を現実のものにするために大切なのは、

できるだけ速やかに「そこ=100パーセント」のところまで戻ってこれるようにすることだ。

「そこ」にいる瞬間を増やすこと、そして、それを「自分自身の意思によって」コントロールすること。 

それだけなんだと思う。

 (そうできるようにするのにはトレーニングが必要だとは思うけどね。)

 

「強く願う」=「覚悟を決める」と言い換えてもいい。

だとしたら、覚悟を決めなくても叶えられることなんて、たかがしれてるのかもしれない。

 

より広い意味では、「強く想う」ってことかなあ。

 

好きな人を見るとき、

あなたは可能性の塊だぜ、って思う。

(おんなじことをあの人は「Baby、きづいてるかい?お前はスターだぜ?」って言った。)

おれ、超信じてる。

その時たまたま弱ってて、その光が消えそうになってたとしてもだ。

 だから自分のことを虐げてたり、侮ってる人を見ると、ざけんなって思う。

だから胸ぐら掴んで、「てめえは、そんなもんじゃねえだろう!」って言いたくなる。

 

それを、人から胸ぐら掴んで言ってもらえるのを期待してたんだと思う。

「でもできるだけ優しくしてよね」なんてことを同時に望むというゼータクな注文を人にしていたんだと思う。

長いことLuckyを待ってた。

でも、もう「きづいちゃった」から、そろそろ自分で自分に言わなきゃだめなんだと思う。

(それはこの先、人の力を借りてはいけないってことでは決してない。)

 

「憧れる」ってことは、それに手を伸ばしているようでいて、自らをその一番遠くへと遠ざけてしまう行為なのかもしれない。

 

「辿り着く」ために、一歩を踏み出すことはできてきた。

そしたらその次は、歩きながら「どうしたら歩き続けられるか」だけを考えればいいはずだ。

 

途中で立ち止まっても、いい。

今の俺が未来のお前に許可を出す。

あきらめてかまわない。何度でも。

だいじなことはそんなんじゃない。

 

どこへ向かっていいかわからずに、もう何回も「死んで」きた。

それでも、どうにかこうにかここまでやってきたんじゃないか。

 

憧れるのはもうやめにしよう。

「目的地」は決まったんだから、「辿り着く」という覚悟を決めよう。

 

 今よかちったあ楽になんだろ!(๑ÒㅅÓ)ノ

「フロム・ザ・ダディ・バンク・オブ・ザ・ウィッシュ」かー!(※「お父さんバンク」について)

「これから」のベジーシッターの番外編として、

「お父さんバンク」のことを紹介させてもらいます。

 

 

今ベジはこの「お父さんバンク」なる仕組みづくりのメンバーに加わっています。

 

 コンセプトは

 

「得意技」を持て余しているお父さんと、それを必要としているシングルマザーを繋げる

 

というもの。

 

友達のFacebookの投稿でこれを見たとき、

 

(´-`).。oO(ん…?シングルマザーに限定こそしてないけど、俺これもうやってるじゃん!

 

と思った。笑

 

 

ぼくが得意な「こどもと遊ぶこと」を、助けてほしい親御さんたちに

仕事としてではなくあくまでも「楽しみながら」提供する。

2年前から既にその世界観で生きてきてたので、このグループに参加するのは自然だった。

 

 

今後ぼくのベジーシッターはビジネスになるので有償ですが、

→(ドネーション制を復活させ、料金制とドネーション制を選べるハイブリッドスタイルにしました!)

「お父さんバンク」を通じてぼくを呼べる日というのも作ろうと思っています。

 

「お父さんバンク」に関しては「趣味」としてやっていこうか、ということです。

 

まだ構想が走り始めたばかりですが、

→公式サイトオープンしました!
 ↓ ↓ ↓
http://otosan-bank.com

 

ぜひチェックしてみてくださいね〜!

( ´ ▽ ` )ノ

 

 

Facebookページもあります!

【お父さんバンク】Facebookページ

 

(※Facebook利用者じゃないと開けないかも?見られなかったらごめんなさい!泣)

 

 

 

P.S.

サブタイトルはNirvanaのライヴコンピレーションアルバム、

“From the Muddy Banks of the Wishkah”から。

 

中でも特にこの曲が大好きです!!

この曲のこのテイク…血湧き、ベジ躍る!!!

 (๑ÒㅅÓ)ノ

 


Nirvana - Tourette's (Live at Reading 1992)

「明朗会計 べジーシッター!」(料金について ※改訂版)

※改訂、追記した箇所は色付きにしてあります

(※最終更新:2022年2月)

 

 【重要】

ジーシッターの種別(ドネーション制/料金制)を問わず、

・ベジのマスクなしについてのご了承

・家庭内で「一定期間内に」新型コロナワクチン接種した方がいないこと

ご家族にベジを呼ぶことの了承を得ていただくこと

上記3点をシッターご依頼の条件とさせていただきます。

 

マスク/ワクチンについての詳細はこちらをご覧ください。

↓↓↓

recrea.hatenablog.com

 

 

「これから」のベジーシッター、

今日は料金についてお知らせします。

あとなんでこうしたのかってのもちょいちょい説明していきます。 

 

 

まず改訂について。

ここが一番重要なとこなんだけど…

 

 

ドネーション制を復活させて

 

 

料金制

 

出張料のみで報酬不要のドネーション

 

 

どちらを選んでもいいハイブリッドスタイルにします!!!

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

 

 

 

なんでかって、

あのね、ぶっちゃけて言うけど

 

 

ご依頼が来なくなったのですよ。笑

そりゃあもうびっくりするくらい。パッタリ、と。

(´;ω;`) 

 

 

それが料金制になったせいだと単純には考えたくないし、

でもそのおかげ?で、「奇跡の旅」についてまた書き始める時間ができたし、

これは采配なのかしらんとも思ったんだけど、

 

ぼく、

こどもとふれあえてないと、如実にげんきがなくなっていくのね…!

(´•̥̥̥ ·̭ •̥̥̥`)

 

だから、こどもと遊べないって、冗談抜きで死活問題なんですよ…!!!

(´;ω;`) 

 

 

こないだお父さんバンクのイベント「よってたかって運動会」に行ったんだけど、

そこで命を繋げた感、あった。笑

 

https://www.instagram.com/p/BZ_Yu7DA3Ya/

俺なら今日は#お父さんバンク の #よってたかって運動会 と銘打ったイベントで小5の女の子の応援に行ったんだけどすごいかっこよくてグッときたし、その子が出番じゃない時座ってお茶飲んでたらうしろにママがいなくてさみしくて泣いてる子がいたから一緒に遊んでたら、その子の友達もわらわら群がってきてあれよあれよという間に計5人にもみくちゃにされて楽しそうにしてるところを激写されたよ#安定の#こどもホイホイ#くるしゅうない#こども王子#こどもの笑顔クリエイター#ベジーシッター

 

 

それで、

そもそもがシッターだけで生活費を稼ぐつもりもなかったし、

もっとわかりやすく、そして頼みやすくするためにブラッシュアップしてみたつもり。

 

例えば、

移動を含んだ実拘束時間での料金とか、ぼくはいいけど依頼する側からしたらわかりにくかったかな、とか。

あと、兄弟姉妹の2人を同時に預けたい人って結構いたから、そこ単純計算して1.5倍の料金になるのハードル上がっちゃうかなあ、とか。

 

ほんで、決めたん。

 

 

ぼくにお金を「払いたい」と思ってくれる人のための「基準」として料金は決めて、ちゃんと提示する。

んで、お父さんたちの「立場」、「きもち」も守る。

 

同時に、

 

ぼくが「たいせつにしたい世界観」をたいせつにして、

今まさに目指している「ヒーロー」としての道も歩んでいく。

 

両方、やろう。

って。

 

 

ちなみに、

料金制への移行発表前から、そうしようかなという考えはあったんだけど、

どっちつかずでやるより、とりあえず振り切ったやり方でやってみて、

どうなるか結果を見てみたいというのもあってビジネスオンリーでやってみてた。

 

そんなわけでした!

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

 

というわけで!

詳しくは、こうなります。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

《ベジーシッター(出張託児)料金》

 

【出張料金】(交通費等を含む)
東京都・神奈川県内
→2,000円
※交通費等が超過した場合は実費から1,000円単位になるように追加

例:交通費等2,100円→出張料3,000円

立川駅出発で計算してもらえたらおおよその目安になります。

立川市からバイクで片道30分以内で行ける場所なら出張料金は1,000円です。

 

【基本料金】(こども1人)
往復にかかる移動を含む拘束時間

実稼働時間

・3時間まで

→3,000円

5時間 6時間まで
5,000円 6,000円

5時間 6時間超〜10時間まで
→10,000円

拘束時間が10時間を超える場合は応相談

(※上記全て消費税込)

☆複数人数の場合は追加1人につき基本料金の半額/兄弟姉妹であれば計2人まで無料

 

【キャンセル料】
ご予約をキャンセルされる場合は、前日18時以降はキャンセル料として基本料金の全額をお支払いいただきます。

予約時間分の基本料金について下記の割合を乗じた金額をお支払いいただきます。
6日~3日前: 50%
2日前〜前日18時:70%
前日18時以降: 100%

ドネーション制ご希望の場合でのキャンセル、また当日待ち合わせ等の最終確認の連絡が前日までに取れない場合も同様とさせていただきます。

 

【その他】
深夜早朝の時間帯や遠方、宿泊を伴う託児、またイベントでのご依頼については別途相談を承ります。

 

【重要事項】
お預かり中はこれまで同様、お子様の安全に最大限の注意を払いますが、万一事故やケガなどをされた場合、当方では全ての責任を負いかねます。
個人的に、個人賠償責任保険にて万一の場合に備えておりますが、シッターのサービスを料金制で提供する場合は同保険が使えなくなってしまいます。
今後は、事故やケガについて自己責任である旨同意していただくことがシッターご依頼の条件となります。
ご心配な方は、事前に各自でお子様の傷害保険などにご加入いただくことをお勧めします。

 

【ご依頼方法】
FacebookTwitter、LINEなど各種SNSメッセンジャー、メールにて
ご希望の日時や場所、託児の内容などをご連絡ください。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

ほい。

こっから項目ごとに説明していきます。

(だいたいぜんぶについて悩んだし迷ったのです(´・ω・`))

 

 

【出張料金】

 

料金が発生するのは実拘束時間だけでいいかなと思ったんだけど、

その都度交通費があるわけで、実費にすると、

調べるのにぼくだけでなく、小銭が出てくるから親御さんにも面倒かなと。

新生ベジ生みの親のママ友さん二人からの「明朗会計でお願いします!」という要望が根っこにあり、

とにかく「わかりやすさ」を優先しています。

 

それで一律料金にしました。

ぼくは現在立川市に住んでいますが、

新宿駅/渋谷駅でも往復1000円ちょい。複数の鉄道会社乗り継いだりすると1000円では足りないことが多く。

これまでの傾向で、だいたい2000円あれば足りる感じなのでそう決めました。

 

ちなみに、

ニーズ無いと思うけどぼくんちに来てくれたら当然だけど出張料金はかかりません。
来てもらうには部屋片付けなきゃならんな、どうしような…笑

ぬいぐるみとあと絵本はけっこうある。

あとごはんはベジ料理をぼくが作るよ!(※出張でも作れまーす!)( ´ ▽ ` )ノ 

 

 

【基本料金】

 

これもほんとに迷いました。
小刻みに、例えば1時間ごとの料金にした方が親御さんからするとうれしいとは思うけど、

ここはわかりやすさ/覚えやすさと、ぼくの都合を優先させてもらいたい。

これまでの傾向では、だいたいはドアtoドアで1時間はかかってて、

そうすると5時間の料金では単純計算して託児は実質3時間になるけど、

だいたい少なくとも2〜3時間以上のご依頼が多く、

基本料金のみで考えて拘束時間を時給にしたら1000円なので、決して高くはないかなと。

 

【キャンセル料】

これまで何度もダブルヘッダーもやってきてますが、

基本的に1日に1件の受付にしてる(親御さんのお仕事の都合などでお戻りが2〜3時間遅くなったりすることもままあり、後の予定は入れていない)ので、

キャンセルになるとまる一日分、お仕事ができなくなってしまうのです。

ドネーション制ご希望でも、↑ここは変わらないのでキャンセル料についてはお支払いいただきます。

 

【その他】

「こういう内容なのですがダメでしょうか…?」とよく聞かれるのですが、

基本的にNOと言いたくないので、とりあえずなんでも相談にのりますよ、ってことです。

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

【重要事項】

これは内容そのまんまですね。

とりあえずは、こうじゃないと「始められない」。

いずれは賠償責任保険などをぼくの方でカバーできたらいいなあとは思っています。

(๑ÒㅅÓ)ノ

 

【ご依頼方法】

今んとこ申し込みフォームとかないので、連絡手段はなんでもいいです。(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

(だからって狼煙とかモールス信号はNGね♪笑)

 

 

とりあえずこんな感じです!

よろしゅう!

( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

P.S.

サブタイトルはあれです、「機動戦士ガンダム」、「交響詩篇エウレカセブン」、「天元突破グレンラガン」みたいな…。

「べジーシッターの料金についてのご案内」とか、初めて普通のサブタイにしようかと思ったんだけど、やっぱりやだです!で。

でも説明しないときづいてもらえないと思って書きました。笑

「これから」のベジーシッターの話をしよう

前回 

recrea.hatenablog.com

 

からの続き。

 

個人による出張シッターという概念、そしてそれによってこどもを中心に家族の笑顔が増えるというイメージ。

それらの「広がり」という点と、

アンパンマンになりたい」というぼくの夢。

そのふたつが、「このままでは難しい、遠いな」と感じていたところ。

 

先日、何度もリピートしてもらっているママさんの久しぶりのシッターご依頼から話がふくらんで、

同じくリピートしてくれているママ友&お子さんといっしょに2家族+ベジでお泊り会をしてきたんだけど、

(楽しすぎてこどもからお泊りおかわり!のリクエストがあり、結局2泊になった!笑)

3日目の昼にママさんのおうちで、こどもたちはゲームしたり、ぼくら大人3人は互いの近況報告などをしていた。

 

その中でシッター活動開始当初からの「おきもち制」というスタイルについての話になったのだけど、

ベジ的にちいとばかし、否、だいぶショッキングな話をされたのです。

 

その時の話の趣旨をまとめて、また箇条書きにしてみます。

(書いててまたちと胸が痛いけど(´;ω;`) )

 

 

・ぼくが受け取り下手なことで、相手を苦しくさせてしまう

 

ぼくとしては、ただでさえこどもたちと遊ばせてもらってありがとうなのに、

おきもちまでいただいたら、「盗人に追い銭」ならぬ「遊び人に追い銭」である。

だから時に『申し訳ない』ってきもちが出てしまうんだけど、

 

マ「お金も『愛』だし、ママたちからしたってほんとにありがたいしベジさんにあげたいんだから、遠慮なく、喜んで受け取ってほしいんだよ」

 

マ「ていうか申し訳なさ出されると、喜んでほしかったのにそのまま受け取ってもらえないことでテンション下がる」「だよねー」

 

マ「それに、ベジさん固定収入ないんだから、お金なくて死なないまでも病気になって倒れちゃったりしたら、『わたしがあの時もっとお金を渡していれば…!』ってなっちゃうじゃん!」「うん、それほんとかんべんですよ」

 

マジかー!(´;ω;`) 

 

 

 

・人に紹介をする時…とてもめんどくさい!

 

お二人には、ぼくのことをたくさんの方に紹介してもらっている(いつもマジがとうございます!!(´;ω;`) )のだけど、

その際、「おきもち制」というスタイルは紹介する側にとってとてもやっかい、とのことだった。

 

なぜなら、「今現在一般的でない」こと、「基準がない」ことによって「これこれこう!」という説明では済まないのだそうだ。

そしたら、「なぜそういうスタイルなのかとかその人に直接説明するから、連絡をぼくに振って〜」と言ったのだけど、話はそう単純ではないらしかった。

それをすれば確かにぼくの理念?はわかってもらえるかもしれない、けどその人たちからすると、

『相場より少ない額→ベジさん不服→紹介をしてくれた◯◯さんに対して失礼になる→それはいけない!』という意識が働いて、

結局「みなさんはいったいいくらくらいを払われてるんでしょうか…?」って話になるんだよ、

だからベジさんに説明してもらったとしても意味ない、と。

 

  

マジかーー!!(´;ω;`) (2回目)

 

 

ならない!

不服に!!ならないから!!

遊ばせてくれるだけでそれはもう「ふくふく」してっから!! (´;ω;`) 

 

よく「ほんとにタダでいいの?」ってきかれるけど、

「いいよー!( ´ ▽ ` )ノ」って言って、交通費のみをいただいても、

ぼくはこどもと遊ぶのがほんとに好きなんだってわかってもらえたーと思って、それもすごくうれしいんだけどね…。

 

ほんで、

そのママさんたち的には

「明朗会計の料金制にしてもらえると、紹介するにもすごく助かる!

それに名実ともにプロフェッショナルなわけだから、初めてのママさんたちもより安心感が増すよ!」

ってことだった。 

  

 

そして、ぼく的に一番シビアだったのがこれ。

 

 

・すごく助かる、けど…同時に家庭に問題の種を撒いてるんじゃない?

 

これまで、シッター依頼は全てママさんたちからだった。

パパさんたちと直に接することも何度もあったけど、依頼はママさんたちから。

 

ぼくはこどもと遊べてうれしい→ハッピー。

こどもはハードに遊んでもらえてうれしい→ハッピー。

親御さんはこどもを見てもらえて助かる上、楽しませてもらえてうれしい→ハッピー。

 

三方よし」でみんなハッピーやん、と思っていた。

 

が。

 

突きつけられたのは、

「親御さん」とひとくくりにしてではなく、「パパさん」のきもちにクローズアップしてみた時、

「果たして彼らはほんとにハッピーか?」

という問いだった。 

 

要は、

パパさんたちの立つ瀬がないんじゃない?ってこと。

 

それは以前から実際にパパさんである友人からも指摘されていたし、自分でもわかっていた。

 

「そりゃあ父親なら誰だって自分のこどもと遊びたいよ。喜ばせてあげたいよ。

でも父親一家の大黒柱であることが多いし、家族を養う責任を背負ってる。

きにいらないやつにも頭を下げて、必死に、それこそ身を粉にして働いてる。

たまの休みの日にこどもに遊んでって言われてもきもちと体がついてかないこともある。

そんなところに、どこの馬の骨ともしらない男(ベジ)が颯爽と現れて、超楽しそうに遊んで、

結果こどもとママにキャーキャー言われてる。

そんなの、たぶん手放しで喜べないよ。

俺はベジ君のこといろいろわかってるからいいけど、ベジ君のこと知らない父親たちからしたら

『おいしいとこだけ持っていきやがってなんだあの野郎は』ってなるんじゃない。」

 

そういう心の動きがあるだろうことはわかってたけど、

役割分担で、できる人ができることやって、それでこどもが笑えるならいいじゃん、

ぼくは敵じゃなくてパパさんあなたの味方だよ、協力していっしょにこどもを育てていこうよ、

それはできる、って思ってた。

 

んで、ママさんたちとの話に戻ってくるけど、

…実際にはそうはならないんだって。

 

パパさんたちのそのもどかしさが、やりきれなさが、いらだちや怒りになって、ママさんやこどもに向けられてしまうんだって。

 

そうするとどうなるって、

ケンカになるよね。

いいとこ不機嫌でとどまったとして、

その空気が、ひいては家庭内不和につながってるよ。

てか、そういう話実際に聞いてる。

でも善意でやってくれてるベジさんには、どうしてくれんのってあたることどころか、

それを話すこともできないんだよ、って。

 

 

……

 

………

 

 

マジかーーー!!!(´;ω;`) (3回目)

 

 

それ聞いて、

 

凹んだ。

まじで凹んだ。

 

ひょっとして、おれシッターなんてやらないほうがよかったんじゃないかと思った。

あくまでも自分のためにやってきたけど、

自分が好きなことでひとのためにもなるなら素敵じゃん、って

自分が関わった家族がハッピーになるなんて最高じゃん、って

よかれと思ってたけど、全然よくなかったのか、って。

 

もちろん全部のご家庭がそうなわけじゃないよ、と言ってもらえたけど。

 

 

ぼくの中に「受け取る」ということにブロックがあるままで、

そしてパパさんたちのきもちについてなおざりにしたままでは、

みんなから愛されて信頼される「アンパンマン」になるのは難しいんじゃない?

 

でもベジさんが趣味だったのをビジネスにして「お金をもらう」って決めることで、

それらをまるごと解決できるんじゃない?

 

って。

 

こどもを見てもらうためのお金を「払わせてあげる」こと、

(ママさんもだけど)特にパパさんたちの「愛」を発揮できる流れを作ってあげることで、

それが循環していって、みんながハッピーになるんじゃない?

 

って。

 

必要なのって、もうベジさんが「受け取る」覚悟するだけでしょ?

とはいえベジさんの人生だから、どうしても「趣味」でやり続けたいんだったらしょうがないけど、

そのままで「アンパンマンになりたい」って野望も捨てないって言われたら、

それはずるいと思うし、応援したくない。

「俺アンパンマンになるために覚悟決めます、ちゃんと受け取ります!」

って言ってくれたらうれしいし、これからも超応援したい!

 

って。

 

ぼくはそれでウンウン唸って、しばらく黙り込んでしまったけど…。

 

 

やっぱり、アンパンマンにはなりたいと思った。

 

大人みんながこどもに優しい、

「自分たちが育てなきゃ」じゃなく「みんなで育てたい」って自然に思えてる、

みんなハッピーな世界が見たいと思った。

 

だからそこでもう、選択肢は他になかったのです。

「こっち」を歩いてくんだな、ってのはその時点でもう決まってた。

(発表するまでに数日かかったけど。)

 

 

というわけで。

 

(だいぶはしょったり、セリフをわかりやすいよう意訳してたりするけど、)

これが、「これから」のベジーシッターが新たに生まれた、「誕生日」のお話でした。

 

 

内容的にとても言いにくかっただろうし、ぼくは素直に言うこと聞かない頑固者だし、それでも付き合ってくれて、新たなぼくを誕生させてくれたママ友のお二人に、超ありがとう。

文章を通じて、誕生に立ち会ってくてた皆さんにも、ありがとう。

 

 

さて。

ベジは果たしてほんとうに「アンパンマン」になれるのか?

 

それは…「これから」のお楽しみ!笑

 

(追記 その後、ドネーション制と料金制、どちらでも選べるハイブリッドスタイルにしました!詳しくはこちら!)

「これまで」のベジーシッターの話をしよう

Facebookでは先にお知らせしていましたが、
ぼくのライフワークである「全世界出張型ベビー/チャイルドシッター」について。

これまでの「交通費のみいただければ報酬は不要(おきもち/ドネーション制)」というスタイルから、
料金制、つまり「ビジネス」にすることにしました!

(追記 その後、ドネーション制と料金制、どちらでも選べるハイブリッドスタイルにしました!詳しくはこちら!)


あれだけ「ビジネスにはしない、したくない」と言っていたベジが、なぜ?と思われたかもしれません。

きになるところだと思うし、久しぶりのブログ更新ですが、
そこに至った経緯についてお話ししようと思います。

 


なぜお金が要らなかったのか

 

 

要らなかったから。以上!

 

…ではわかんないよね。笑

箇条書きにしてみます。

 

 

・こどもと遊ぶのが趣味


遊べるだけで楽しいから報酬は要らない。充分すぎるほどもう「もらっている」。
たとえ赤ちゃんだとしても、こどもの面倒を見ることを「面倒」だと思っていない。

仕事ではなく趣味だから、そもそも「対価」が発生すると思っていない。 

 

 

・世界中の子たちのお父さん(もしくはお兄さん)になりたい


自分のこどもたちと遊んだり世話をすることでお金をもらおうとする親はいない。
実際には血が繋がっていなくても「口先だけでも親になりたい」と思っているので、料金を設定するのは「違う」と思っていた。

 

 

・こどもは「みんな」で育てたらいんじゃね?


上とかぶるんだけど、たとえ血が繋がっていなかろうが、こどもは世界の「たからもの」だからみんなで「よってたかって」大切にしたらいいと思っている。
さらに言えば、こどもを育てている親御さんたちも大切にされていいと思っている。
子育てが「苦行」になってしまっている現状は、どう考えたっておかしい。

 

 

そして、

 


・そもそも、お金って「絶対に必要」?


お金は確かに便利だし、あると超役に立つけど、絶対無くてはならないものだとはぼくは思っていない。
その時点での「持っているお金の多寡」や「頼れる人の不在」など、
親御さんたちが楽になったり幸せになるために「条件」がある、ということが
「はい!ヤダです!!(๑ÒㅅÓ)ノ」
なのだ。

 

ぼくがじぶんの「好き!」なことを活かして、動いていくことで、
お金を介さなくても繋がれる。
お金を払わなくても優しくされることがあっていい。
その「可能性」。

そういう世界が「実際にあるんだぜ」って、人に知ってほしかった。
シンプルに、ぼくが「世界がそう在ってほしい」から、そうなるようにやっていた。
のですよ。
(๑ÒㅅÓ)ノ

 

ちなみにぼくがやっているベジーシッター。

ほんっっっとうにありがたいことに、

自分から発信しなくても口コミで広がっていって。
勝手に紹介してもらえて、勝手にシッターの依頼が舞い込んでくる。

ぶっちゃけ、だから余計にブログを書く必然性というものがぼくのなかで希薄になってしまっていました。

(はい、すみません!!言い訳です!!)

 

加えて、昨年12月からぼくは「奇跡」というものを信じるようになって。

『その流れに乗り、その中に居続けることで、いったい「どこ」までいけるのだろう?』ということを、

じぶんを使った「実験」を通して、「確認」したいというきもちもあった。

そして、

 

このままいけば、引き続き託児の依頼も来るし、

応援もしてもらいながら(相変わらずその日暮らしではあっても)、きっと生きてはいける。

と思っていました。

 

ただ、

それと同時に、

 

個人でやる出張シッターという概念の「伸び」や「広がり」という点で、

そして「アンパンマンになる」というぼくの夢を語る時、

このままでは、たどり着くまでがとても遠いな、と感じていたのでした。

 

 

つづく!
次回、「これから」の話へ…!

 

recrea.hatenablog.com

南の国から'17夏〜(これから始まる何かのプロローグ)

ご無沙汰しております。
ブログ「書く書く」詐欺すらしなくなったベジです。
こうして書くのも何度目かわかりませんが、更新を楽しみにしてくれてる方、ごめんなさい!
 
本当に久しぶりの更新ですが、
今、人生で2度目のタイに来ています。
理由はいくつかあるのですが、それらを説明するのには、昨年の10月頃まで遡らないといけません。
前回のタイ初訪問が12月で、まずその理由を説明するのにそこまで遡らないとなのです。
 
 
ーーーーー
 
 
その当時、自分を取り巻く環境に適応することに対する違和感を、それまで以上に強く感じていて、
 
「(適応するべく我慢をすることが)そろそろ限界なんじゃないか」
 
「次のステージ(?)に行くためにバンジー(ジャンプ)を飛ぶタイミングなのではないか」
 
というようなことをしきりに考えていました。
 
 
既知の人を含め、その時「会いたい!」と思った人に躊躇することなく会いに行っていた時期でした。
自分のやりたいこと、自分の存在を、知らせたいと思っていた。
また、僕が会いたい人は「自分軸」を持っている人ばかりで、背中を押してもらいたいというきもちもあった(が、それを正直に伝えてもいた)。
 
その中でも、とりわけ大きな存在だったのが「トランポリンを担いで、世界の笑顔をつなぐ旅」をする石原舞さんだ。
 
舞さんは現在、カンボジアプノンペンを拠点としていて、何ヶ月かに一度帰国し、自身の活動についてのトークイベント等を精力的にやっていて、
昨年10月の帰国時にもいくつかのイベントが開催されていた。
(ちなみにその前に帰国時もそうだったのだけど、)どうにもスケジュールが合わず、『今回も会えないのか…』と思っていた。
 
以前の僕なら「しかたがない」と諦めていたところだが、その時は違って、
『いや!会いたい!会って話がしたい!』と思い、本人に直接コンタクトをとって、(←文面わりとそのまんまの感じで)伝えた。
 
そうしたらなんと、忙しいスケジュールの間を縫って、時間を作ってもらえた!
彼女も好きだという新宿三丁目のブルックリンダイナーで待ち合わせすることになった。
 
 
そして約束の日、小雨降る中新宿へ。
 
いざ会ってみると、
(写真を見てわかっていたはずだけど、)イメージよりもずっと小柄で、
『この体にあんなエネルギーが凝縮されているのか!』と改めて驚いた。
 
「こども」と「笑顔」について、たくさん話をした。
それらについての価値観が思っていた通り、やっぱり似ていて(だからこそ直接会って「だよね!?」って確認したかったのだけど)、
『ありがてえ…!』と思った。
 
互いの活動についてのことを交えながら、想いを伝えあった。
 
その中で、舞さんが
「タイに居るとある少数民族の子へ、クリスマスの時期にサプライズでトランポリンをプレゼントしに行く計画」
について話してくれた。
(僕はそれを「勝手にサンタクロース」と勝手に呼んでいた)
 
それを聞いた時、何か、ピン!と来た。
 
 
『あ、それ…行きたい!!!』
 
 
と思い、それをそのまま口に出していた。
そして、
「こどもたちとは言葉が全く通じなくたって一緒に思いきり遊べるし、彼らを超絶笑顔にすることが僕にはきっとできるはず」
という想い/仮説があったのだけど、それを確認というか自分で証明しに行きたい、とも思った。
 
「でも…その時仕事休めるかな…?」と不安がよぎって「行けたら行く」ということを一度は言ったのだけど、
 
 
「いや、俺、行きたいと思った!思っちゃった。だから、行きたい!もしかしたらダメかもしれない、けど行きたいから、行けるようにする!!!」
 
 
というようなことを興奮気味に宣言して伝えたのを覚えている。
そしてその興奮を保ったまま、わくわくしながら家に帰った。
 
 
それで急に端折るけど色々あって(ホントに色々あって)、
「状況」がどんどん僕の背中を押してくれるようになって、手を引いてくれて。
 
余白に、奇跡が舞い込んだ。
年末のタイ行きの航空券を予約した。
 
 
さらなる奇跡の続きをどうしても書き記して伝えたいと思い、本っっ当に今さらだけど、
書いていきたいと思います。
 
 

 

続きはこちら!

 

recrea.hatenablog.com